toggle
2022-02-28

見えるものも見えないものも、両方あっていい 〜畑中 さやかさん〜

 全国に大寒波が襲来した1月の初旬、名古屋の四間道(しけみち)にある「浅間神社」を訪れた。

「この神社、好きなんだよね」そう言って、ひとつひとつの社に丁寧に手を合わせるのは、畑中さやか(はたなか さやか)さん。

 穏やかな声と柔らかい物腰は、一緒にいる人に安心感を与える。

 高校卒業後、大学と大学院を合わせて12年間、古典や和歌について学び、研究していた。
 そのまま研究者として生きるつもりだったが、色々な縁やきっかけが重なり、現在は「エネルギー」を主とした「目に見えない世界」のことを人に伝えている。

「目に見えない世界」というと、どうしても身構えてしまう人が多い。
 だからこそ「いかに、地に足をつけて話せるかに注力してきた」という。

「ねえ、雪降ってきたよ」雪がちらつく空を見上げて、わあ寒い寒いと歩き出す。
 12年に渡る研究生活から、今に至るまでの話、そして「エネルギー」について。

 神社の近くにある小さな喫茶店で、モーニングとコーヒーをいただきながら話を聞いた。

・「大人に対しての礼儀を知っている」と言われた子供時代

 1984年、愛知県瀬戸市生まれ。
 公務員の両親の間に長女として誕生した。
 

 4歳下の弟が生まれた日、保育園に迎えにきた父親から「さやか、お姉ちゃんになったぞ」と言われたことを今も覚えているという。

(4歳下の弟と)

 子供の頃のことを聞くと「基本的に大人しい子だったけど…」と、ひとつ印象的なエピソードを話してくれた。
 それは、小学校1年生で転校した時のこと。

 なんとなく、転校生いじめのような雰囲気になり、廊下でクラスの女子たちに囲まれた。

「私が引っ込み思案だったから気に入らなかったんだろうね。囲まれて、一人の女の子に突き飛ばされたか何かされて。私、その子の手に噛みついたんだよね」

「気が強かったんだろうね」そう言って笑った。

(祖母と弟と)

 小中高を通して、生徒会やクラス委員などの役に就くことが多かった。
 でも別に、リーダーになりたかった訳ではないという。

「クラス委員は、『やりたい人いますか』って言われても誰も手を挙げなくて。あの無言の時間が耐えられなくてさ。早く帰りたかったから『私やります』って。2回ぐらいやったかな」

 生徒会には自分から参加した。
 なんだか楽しそうと思ったのと、教師から勧められたのが理由だという。

「お利口さんだったと思う。先生から『君は大人に対しての礼儀を知ってるね。子供が喋ってる感じじゃないよね』と言われたことがあって」

 その理由は、普段の暮らしにあった。

 両親が共働きだったため、放課後は祖父母と過ごす時間が長かった。
 祖父母は自宅で婦人服の裁縫店をしており、大人の出入りが多かったという。

「50代60代のおばちゃん達にかわいがってもらってた。大人との関わりも多かったから『こうしたらうまく渡り合える』みたいな知恵はつけたかも(笑)」

 両親や祖父母、そこに訪れる大人たち。
 みんなに見守られ愛されながら、すくすくと成長した。

・好きになったことにはとことん没頭する性格だった

 幼い頃から本を読むのが好きだった。
 小学生の頃は図書館に通い詰め、妖精の本を読んでいた。

「ファンタジーが好きだった。一番最初の夢は『ファルコンに乗りたい』だったんだよ」そう言って、おかしそうに笑う。

 中学生時代には、父の書棚で見つけた司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読み、土方歳三に夢中になった。

「没頭だった。そこから『新撰組とは』ってなって、歴史読本とか周辺本とか、全部読んだ」

 高校時代を振り返ると、同級生から『さやちゃんって、変な子だったよね』と言われた。
 理由は、休み時間に古文の資料集を嬉しそうに読んでいたからだという。

「『十二単の襲(かさね)の色目はこういう色ですよ』とか、『1月は睦月ですよ』とか。美しいなあって見てた」

 その頃から日本の古い時代に興味があった。
 そして、興味を持ったことはとことん調べる性格だった。

 しかし「研究者」という職業を知らなかったため、国語の教師になろうと決めた。
 教員免許が取れる地元の大学を第一志望とし、受験シーズンを迎えた。

 ところが、受験で失敗してしまった。

「心が折れちゃって。そこから小説を書き出したり、映画の『ロード・オブ・ザ・リング』に走ったり(笑) もういいやって思っちゃってた」

 その後、後期試験で地元私立大学の国文科に合格。
 そこでずっと携わることになる「連歌」と出会うことになった。

・きっかけは、古書に書かれた「月」という一文字

 大学進学後、どこへ進もうか迷っていた畑中さんに、転機が訪れた。
 それは、3年生のある日のこと、大学が所蔵する古書を見る機会があった。

 その中の一冊が、彼女の人生を変えた。

「『月』っていう字が、めちゃくちゃ綺麗だなって思った本が一冊あって。じゃあこれにしようって」

 その本は、宗長(そうちょう)という室町時代の連歌師が書いた連歌集だった。

連歌とは・・・日本の古来に普及した伝統的な詩形の一種。5・7・5の発句と7・7の脇句の,長短句を交互に複数人で連ねて詠んで一つの作品にしていく。

Wikipediaより

 畑中さんは連歌のことを「まるで映画のカメラワークみたいだ」と感じたという。

「遠景から近景、急に恋心を読んだり、また景色に戻ったり、老いの悲しさを嘆いたり、どんどん展開が変わる。それが面白かった」

 そこから、連歌の研究に夢中になった。

 一応就職活動もしたが、教授の勧めで奈良にある国立大学の大学院に進学することを決めた。

「資料を見てるのも翻訳するのも楽しいし、調べているのが幸せ。この世界にずっといたいなあって思ってた。和歌にハマったっていうよりは、勉強してることにハマってたんだよね」

 実は、畑中さんの「さやか」という名前は、『古今和歌集』にある一首の和歌から父親がつけたのだという。

『古今和歌集』というのは「春」「夏」「秋」「冬」の部に分かれており、名前の由来になったのは「秋」の一番最初に書かれた歌だ。

『秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる』

「『秋が来たんだと、目にははっきりと見えないけれど、昨日までとは違う少し乾いた風にハッと気付かされた』っていう意味の歌なんだよね。私が9月に生まれたから、秋の始まりのこの歌を選んだのかなって思ってる」

 不思議な縁で、名前の由来になった和歌の世界に進むことになった。

・研究は好きだった。でも少しずつ追い詰められていった

 大学院に進学すると、連歌の研究に没頭し、修士論文を提出した。
 さらに「研究職になるなら、手に職をつけた方がいい」と言われ、改めて高校の教員免許を取り、非常勤講師にもなった。

 大学で和歌の研究をし、高校で非常勤講師として働く。忙しい日々が続いた。
 研究発表の準備で徹夜になることもあったという。

(奈良に遊びに来てくれた祖母と)

 次は博士論文を書かなければいけなかったが、彼女の中で何か違和感のようなものが生まれはじめた。

「博士論文って、2、30ページぐらいのものを10本ぐらい出さなきゃいけない。それが私にはできなかった。勉強するとか調べることは好きだけど、『こういう発見がありましたよ』って出すものが見つからなくて。何か書かなきゃとは思ってたんだけど、日頃の忙しさにかまけてしまって、全然だめだった」

 成果を出さなければいけない。認められるためには、他の人と戦わなきゃいけない。
 畑中さんから見ると、研究者の世界は「食うか食われるか」に見えた。

 いつしか、入学した当初の「この世界にずっといたい」という夢は消えていった。

「もういいかなあって。夢見てた世界とのギャップを思い知らされたっていうのが、一番の決め手だった」

 それでも、日々の研究や仕事は続いていく。
 論文が書けない。その先も見えない。
 不安やプレッシャーが、畑中さんを静かに追い詰めた。

「なんかおかしいなあって。朝起きれない、ご飯食べれない、動きたくない、動けない…みたいな」

 たまたま手に取った雑誌の「もしかして『鬱』かも」というページに書かれた10個のチェック項目のうち、9個が当てはまった。

「じゃあそうかもって。でも病院は嫌いだから、どうしようかなって」

 当時仲良くしていた大学の後輩たちに「私ちょっと鬱っぽいんだよね。ご飯も食べれないし」と相談した。

「そしたら『それはダメですよ!何か楽しいことをしましょう』って言ってくれて、教室で私が好きだった『ロード・オブ・ザ・リング』全3本を一緒に見てくれたの」

 後輩たちと大好きな映画を見て、久し振りに心がワクワクするのを感じた。

「私、ダメだったんだなあって。研究はしてたし、先生のことは大好きだったけど、身は入らないし、学校というところに行きたくないなって」

 何か、ほかのものを探そうかな。
 そう思い始めたのは、28歳の頃だった。

・見える世界から見えない世界へ

 その頃、ある占星術師のブログを読むようになっていた。
 ブログに「Facebookグループもやっています」という記載を見つけた畑中さんは、Facebookのアカウントを取得し、グループに参加した。

 そのグループには、タロット占いや星占いをやっている占い師がたくさんいた。
 畑中さんは、その中の一人の女性に、タロットカードを教えてもらうことになった。

 ところが「その人に会って、カードを引いたら、なんか分かっちゃったの」と笑う。

 カードにはそれぞれ意味がある。
 でも、その意味どうこうよりも、相手に伝えなければいけないことを感じることができたという。

「私もよく分かんないんだけど、その頃は集中すると未来が見えて。頭の中で物語が流れてく。テニスしてる姿が見えますよ、とか」

 だんだん和歌の研究よりも、見えない世界の方が楽しくなった。
 グループにいた人から言われた「さやちゃんは、こっち側でいいんじゃない?」という言葉にも背中を押された。

 お小遣い程度でいいから、これでお金を稼いでみよう。
 そう思い、まずはカード占いをはじめた。

・今、目の前にいる人に喜んでもらえることをしたい

 少しずつ研究から遠ざかり、目に見えない「スピリチュアルの世界」に身を置きはじめた。

 ずっと携わっていた和歌に未練はなかったのかと尋ねると「うーん」と少し悩んだ後、答えた。

「スピリチュアルの方が、社会の役に立ててる感があったから。和歌の研究にはそれがなかった。もしかしたら100年後とかに、私の研究した何かが役に立つかもしれないけど、いま目に見える成果はなかったから」

 カードを通して感じたことを伝えると、目の前の人が喜んでくれた。
 今、人の役に立てている実感が嬉しかった。

 でも回数を重ねるうちに、タロットカードだけでは力不足だと思うようになった。

「カードを引くだけで解決することは絶対にないわけよ。根本にある問題解決をしないとだめだよねって」

 そう考えていた時に出会ったのが「RAS」だった。
 それは、筋肉反射を使って、問題解決やトラウマなどを解消していく技法だった。

「腕に自分の意志では動かすことができない筋肉があるのね。話者が問いかけをして、それに対する筋肉の反応で答えが分かる。オーリングと同じなんだけど、精度が高いの」

 まずは自分自身がセッションを受けて納得し、人に施術できるようになるため免許を取った。

 そしてもう一つ、現在彼女が人に伝えている「エネルギー」についても、同じ師から学んだ。

「師匠から『エネルギーに触れるのができるようになったけど、やる?』って言われて。その基礎を教えてもらって。やってみたら楽しいからみんなに教えてた」

 RASのセッションもエネルギーも、どちらも多くの人に喜んでもらえた。
「これでやっていこう」と思い、開業届を出した。

・8年ぶりの地元で、見える世界にシフトチェンジ

 大学を満期退学となり、しばらくは奈良に残ったが、34歳を迎える年、愛知の実家へ帰ることになった。

 RASのセッションは順調に集客できていたが、全力を傾け過ぎてしまい疲弊していた。
 このままだと自分が潰れてしまうと思い、別の軸を探すことにした。

「一旦、目に見えないものじゃなくて、見えるものに主軸を置いた方が現実的かなと思って、コンサルを受けたり起業塾に入ってみたりした」

(起業塾卒業式にて。後列左から5人目が畑中さん)

 目に見えるビジネスコンサルやコーチングを仕事にした。
 でも、なんだかうまくいかなかった。

「やり方も、お客さんとどう向き合うかっていうのも迷ってたから、お客さんに逃げられたりもした。いつの間にか連絡取れなくなるとか、お金払わないとか」

 そこからしばらく、なんとなくモヤがかかったような時期に突入した。
 何をやったらいいのかが分からない。

 そんな時期は3年ほど続いた。

・一つの喜びと一つの悲しみと

 モヤの向こうに小さな光が見えはじめたのは2020年、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言中のことだった。

「外出自粛で全然動けなかった時期に、『ダベル』っていう音声配信アプリにハマってたの。そこで古典の朗読をするっていう会をやったら、結構人が来てくれて」

 聞きに来てくれた人に向けて、以前やっていたようなタロット占いや四柱推命などをやってみた。
 すると、みんなが喜んでくれたという。

「当たってるって言われたり、核心を突きすぎて怖いって言われたりして(笑)」

 久し振りに、人に喜んでもらえる嬉しさを思い出した。

「人に喜んでもらえることで自分の生計を立てよう」と思い、目に見えない「スピリチュアルの世界」で生きると決めた。

 

 ところが、「前に進もう」そう思ったタイミングで悲しい出来事が起きた。
 父親の死だった。

 彼女が愛知の実家に戻って少しした頃、父親が退職した。
 仕事を辞めたストレスのせいか、昼間からお酒を飲むようになり、徐々に体調が悪化した。

「呂律が回らなかったりとか、明らかにどんどん具合が悪くなってるのに、『病院行って』って何度言っても行かないし」

 それまで父親との関係は悪くなかった。
 だが、心配する気持ちが、徐々に苛立ちに変わってしまった。

 母親は仕事に行っていたため、日中は父親と家に二人。
 顔を合わせる時間が長かったことが、逆に関係性を悪化させた。

「嫌なものってどんどん嫌になっていくじゃない。だから私も父にあんまりいい態度を取ってなかったんだよね」

 結局、父親は自宅で倒れ、入院することになった。

 数ヶ月後、容体が急変したと医師に呼ばれ、病室に駆けつけた。
 父親は畑中さんに「お前が来てくれたからよかったよ」と言った。

 そのすぐ後、父親は息を引き取った。

「今も、この話をすると泣くんだけどね」

 そう言って目尻を拭った。

 父親と仲は良くなかったかもしれない。

「でも、人一人のエネルギーって大きいから。それを埋めるのは結構大変だなってね」

 父の部屋に広がる遺品を片付けながら、少しずつ気持ちと生活を整理して日々を過ごした。

・エネルギーを知れば、解決できることがある

 もう一つの「死」が、彼女を「スピリチュアルの世界」に向かわせた。
 それは、SNSで知り合った一人の女性の死だった。

「何度か喋ったこともあったから、やっぱりショックで」

 当時、見えないウイルスとの戦いで、世間が騒がしかった。
 亡くなった彼女は「電車に乗るのもご飯を食べに行くのも怖い」そう話していた。

「ストレス溜まってたんだなあって。これは社会悪だな、何かしなきゃいかんなって思って。それが『もう一回エネルギーやろうかな』って思ったきっかけなんだよね」

 畑中さんは「エネルギーがあることを知るだけで、解決することはたくさんあると思っている」と話す。

「不安もエネルギーだし、感情は伝播するから。
 不安になった時、それは本当に自分の心の奥から出てきた不安なのか、 それとも、周りの不穏なエネルギーを感じてるだけなのか。特に繊細な人は、不穏なエネルギーを感じて、それに不安になっちゃうことが多い。
 だから、『これは自分の不安じゃなくて、社会に不安のエネルギーが溢れてるんだ』って知ってるだけで、人のいないところでしばらくゆっくりしようとか、安心できる人と楽しい時間を過ごして自分の感情を感じることにフォーカスしようとか、対処法が分かる」

「エネルギー」という存在を知っていれば、不安に対処ができる。
 でも知らないと、逃げ場が減って追い詰められてしまう。

 特に2020年のコロナ禍では外出自粛などもあり、人々がやり場のないエネルギーを抱え、怒りをぶつけ合う場面もあった。

「怒りもエネルギーだから、飛ばしてる人たちを見たら感化されるんだよね。それも『これはみんなが怒りのエネルギーを出してるからだな』って気付けたら楽になれる」

 そして、人に対して責める気持ちになった時の対処法も教えてくれた。

「あの人のあの行動が嫌いっていう時、その行動が嫌なんじゃなくて、その行動に付随している何か…たとえば『隠したい』っていうエネルギーが嫌なんじゃないの?って。

『こういうエネルギーを出してる状態が嫌い』って思うのと、『この人が嫌い』って思うのと、『この行動してる人、全部が嫌い』って思うのって違うじゃん。この行動してる人が嫌いってなっちゃうと、同じ行動をしてるこの人もあの人も全員嫌いになっちゃう。

 でも『このエネルギーが嫌いだな』って思うんだったら、『私はそういうエネルギーを出さないようにしよう』で終わりになる。自分の好みじゃないだけ。人を責めるエネルギーを出さなくて良くなる」

 人へ嫌悪感や敵意を持った時、その根源はどこにあるのか、視野を広げて考えてみる。
 本当にその人自身への気持ちなのか。それとも、その人の行動のさらに上にある「エネルギー」に感じているだけではないのか。

 もしもみんなが、視野を広くすることができたなら。
 人に対して攻撃的にならずに済んだなら。

「みんな幸せになるんじゃないかなって思うんだよね」

 そう言って、静かに頷いた。

・エネルギーって、一体何?

 そもそも「エネルギーって何?」そう聞くと「うーん、難しいなあ…。概念だからね」と、じっくり考えながら、こう答えてくれた。

「見えないと思ってるけど、すぐそこにあるもの。極小すぎて見えないけど、私は素粒子と同じものだと思ってる」

 さらに「エネルギーって何ができるの?」と尋ねると、「それが困るんだよね。なんでもできちゃうから」と笑う。

「なんでもできちゃう」中で、畑中さんは「こじれているものを分解して、うまく流すことに特化している」のだという。

(Photo by Emiko Kogiso)

 畑中さんは現在、その特化したスキルを活かして「エネルギーを触ることができるようにする」「人のエネルギーを調整する」という、大きく分けると2つのセッションを行なっている。

 まず「エネルギーを触れるようにする」とは、一体どういうことなのだろう。

「人間には10個ぐらいの穴というかツボみたいなものがあるの。大昔の人は、そのツボが開いてたからエネルギーを触れたし感じられた。でも現代のほとんどの人は閉じてる。だからそれを開けてあげるの」

 畑中さんはそのツボを開けて、人がエネルギーを触れるようにするのだという。

「エネルギーが触れるようになると、分解して流していくっていう作業ができるようになる」

 今はそれを分かりやすいように「小顔ダイエット」というテーマにして伝えている。
 自分の中にある「要らないエネルギー」を触って抜くことで、小顔にするのだという。

 実際に彼女のセッションを受けた人のビフォーアフターの写真を見ると、明らかに顔がすっきりしている。
 とても不思議だが、「要らないものを流して抜いた結果」だという。

「ダイエットだけじゃなくて、考え方だったりそういうものも流して抜くことができる。みんながセルフケアで自己解決できるようになったらいいなって」

 体も気持ちも自分の力で整えることができる、それがエネルギーのひとつの力だという。

・好きな日本に元気でいて欲しいから

 そしてもうひとつ行っているのが「人のエネルギーを調整する」というセッション。
 これは、畑中さんが直接その人のエネルギーを触って「読む」のだという。

「まず『誰々さんのエネルギーに触ります』って宣言する。そうすると、その人のエネルギーだけがほわほわってなるから触れるようになる。人によるけど、私は結構手応えがある。重くなるっていう感じ」

(Photo by Yukari Chinen

 触りながら、エネルギーの溜まっている場所や溜まり具合で、その人のこじれている場所が分かるのだという。

「エネルギーって本来なら流動的に動いているものなんだけど、それがぎゅっと固まってる場所がある。たとえば肩に溜まってるとしたら、肩っていうのは責任感が乗るところだから『やりたくないけどやらなきゃいけないと思ってること、何かありませんか?』とか」

 エネルギーの状態を読み、本人が気づいている悩みから、気づいていないトラウマまで、見つけて伝えて流して解決していく。

 自分の悩みに気づいて変わる人や、自分の本質に気づいて飛躍する人も多い。

 このセッションを受けにくる人は、起業家や事業主などトップをつとめている人が多い。
 それには訳がある。

 畑中さんが目指す世界は「日本が元気な状態」だという。

 長年、和歌の研究を通して、日本文化に触れてきた。
「日本ってすごく好きな国」と胸を張って言える。

「日本のみんなが、神様なり自然を大事にして、自然がいっぱいあるきれいな日本が存続してるっていうのが一番嬉しいんだよね」

 そのために自分に何ができるか、そう考えて出た答えが「世の中のトップに立つ人を支えること」だった。

 グループのトップに立つ人たちを支え、エネルギーを整えることで、その人たちが早く結果を出せたなら「少なくともそこには、いい社会が生まれてくるじゃん」という。

「見えない世界のサポートしかできないと思ってるから、私は」と話す彼女に、自分自身がトップに立てばいいのではないかと聞いたのだが、答えはノーだった。

「戦略を練るのが好きなんだよね。だから『最強のNo.2』でいたいよね。諸葛孔明みたいな」そう言って笑った。

・スピリチュアルは科学と同じだ

 一時期、見える世界を仕事にしようと思ったのは「スピ系って言われるのがすごく嫌だった」からだという。  
 どうしても「スピリチュアル」と聞くと、胡散臭いとか怖いというイメージを持たれる。

「でも、私にできるのはそれしかないなあってなったんだよね。だからいかに地に足をつけて話せるかに注力した」

 畑中さんが好きな話に「科学と宗教の元は同じ」という話がある。

「『宗教家は神の存在をドラマチックに物語ることで、神の存在を伝えようとするんだけど、科学者は科学的に分析することによって、神の存在を証明しようとした』っていう話があってね。そうか私は、宗教家じゃなくて科学者なんだなって思ったんだよね」

 「原子」は目に見えない。
 でも、存在を疑う人はいないし、胡散臭いとか怖いと言う人もいない。
 エネルギーもそれと同じなのではないか。

「スピリチュアルじゃなくて科学なんだよ。見えないけど、当たり前にあるんだよって」

 それにね、と続ける。

「平安時代の人は、見えないものが当たり前にある世界にいたんだよね。陰陽師とかさ。今だって同じように、見えないものも見えるものも両方あっていいじゃん。あって当たり前じゃんって。そう思うし、みんなそう思ったらいいのにって思う」

 見えるものと同じように見えないものも当たり前にある、そんな世界になればいい。

「私を通してエネルギーって何か、少しでも知ってもらえたらいいなって思う」

そんな思いで活動を続けている。

・さいごに

 畑中さんと話をしていると、その知識量に驚く。

 和歌や日本文化、神社仏閣について。
 昔書いていたという小説や、漫画や絵。
 タロットカードやエネルギーなどの、スピリチュアルという世界。
 ビジネスコンサルティングやコーチング。
 そして、趣味の一つである万年筆やインクについて。

「好きになると、没頭してとことん調べる」という言葉通り、どの分野もとても詳しい。

 広く浅くではなく、広く深い。
 どんな話題であっても、彼女の経験や学びを通した視点からの意見が飛び出してくることに感心してしまう。

 今、その溢れる知識を全て使って、いろいろな人を支えている。
「昔取った杵柄は全部使ってるなって思う」という。

 そんな彼女に、一番楽しいのはどんな時か尋ねると、「支えてる人たちがうまくいってる姿を見る時。あとはエネルギーを読んでる時かな。違う世界と繋がってる気がして楽しいんだよね」と笑顔で答えた。

 物心ついた頃から、ファンタジーの世界が好きだった。
 妖精の本からはじまり、映画の「ロード・オブ・ザ・リング」に夢中になった。

 彼女の名前の由来になっている和歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」には「見えないもののおかげで秋を知る」という意味がある。

「見えないもの」というワードがここにも入っているため「生まれた時から呪われてたんだね」と、人に言われたことがあるんだと笑う。

 見えるものも見えないものも、この世界にはある。
 それが「当たり前なんだ」と、一人でも多くの人に気づいてもらえるように。
「見えないから」という理由だけで大切なものを失う人が増えないように。

 これからも彼女は伝え続けていくのだろう。

畑中さやかさん note → https://note.com/menihasayaka

インスタグラム → https://www.instagram.com/menihasayakani/

リンク集 → lit.link/menihasayakani


岡田へのインタビューご依頼はこちらから


関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です