toggle
2021-01-09

自分が変わったら、世界に愛があふれた〜尾﨑絹加さん〜

 紅葉が綺麗な11月、名古屋にある名城公園のカフェ。

「週末、時々家族でここに来るの。娘がここのピザ大好きで。お店の人にも話しかけるから仲良くなっちゃって」

 ふんわりとした優しい笑顔で家族のことを話してくれたのは、イラストレーターの尾﨑絹加(おざききぬか)さん。

 現在10歳年下の夫と小学3年生の長女と3人で、名古屋市に暮らしている。

「娘とパパが向こうの広場で遊んでる間、私はここでお茶しながら待ってるの。パパは遊ぶのも楽しませるのもすごく上手でね、娘は本当にパパが大好き」

 聞いていて思わずこちらも笑顔になる程の仲良し親子だが、実は夫と娘は血が繋がっていない、いわゆる「ステップファミリー」だ。

 今の夫と再婚して5年。

「どんどん自由になってるし、いま幸せ」

 まっすぐな瞳でそう笑う尾﨑さんに、愛や家族について話を聞いた。

・愛されている実感がなかった幼少時

 出身は埼玉県所沢市。
 父親が画家だった影響から、物心ついた頃から「絵描きになりたい」と思っていた。

「父は、本の挿絵とか図鑑の絵を描いてる人だった。家に仕事場もあって。」

 父は家で仕事をしていたが、母は東京の出版社でバリバリのキャリアウーマンとして働いていた。そのため帰りはいつも夜遅く、寂しい思いをしたという。

「小さい時、父にすごくかわいがってもらってたらしいんだけど、覚えてない。いつも甘えてたって周りには言われるんだけど…」

 当時、愛されているという実感があまりなかったという。

 そして尾﨑さんが中学生の時、両親が別居をした。

「大事な人はいなくなるもの。そう思った」

・夢の挫折と運命の出会い

 大学進学のタイミングで両親が離婚することになり、母親の実家がある福岡に引っ越した。
 母と6歳下の妹、そして祖父母との暮らしが始まった。

「大学は美大に。写真を撮って暗室で現像したり、デッサンをやったり、本を製本したり。デザインに関するすべてのことをやった」

 ところが、そこで挫折を味わうことになる。

「同じ大学に油絵科があったんだけど、そこで本っ当に天才的な絵を描く人がいたの。それを見たら、私って超凡人じゃん!って思って。絵をやめようって思ったんだよね」

 そこから方向転換して、アパレル会社に就職した。
 福岡の路面店で販売員として働くことになった彼女は、持ち前の才能を開花させる。

「私、お客さんの顔と名前をめっちゃ覚えられる人で。「前回、あれ買いましたよね」とか「あれにこれ合いますよ」とか。そういうことができる人だったの。
 お客さんとお話しして、そのお客さんのクローゼットの中身を知ってて。密に繋がってる感じ。そういうのが、めちゃくちゃ楽しかった」

 そして、運命の出会いも訪れる。
 勤務していたアパレルショップの 隣のお店で働く男性との出会いだ。

 その彼と4年交際し、26歳の時に福岡で結婚式を挙げた。

・平凡な人生が続くと思っていた

 夫は同業のアパレルショップに勤務していたが、転勤が多かった。
 福岡から広島、そして名古屋へと数年ごとに転居した。

 結婚してから5年後、広島にいる時に娘が生まれた。

「きっとここから、夫と娘と3人で平々凡々と過ごしていくと思っていた。おじいちゃんおばあちゃんになるまでずっと一緒にいると思ってた」

 そんな静かな夢を打ち砕く出来事が起きる。
 夫が、浮気をしていたのだ。

 気付いたきっかけは、携帯電話に残された彼女との写真だった。

「ただただ衝撃的だった。誠実だし、節約家だし、真面目なタイプの人だと思ってたから、まさか!って。
 どうしてそんなことが起きるの?って、心臓がバクバクした」

 毎日帰りが遅くて、出張と言って何日も家にいないことも多かった夫。
 一人での子育ては大変だった。でも「夫は仕事をがんばってくれてるから」そう思っていたのに。

「父親のこともあったから、大事な人は去って行くものだという思い込みが強くなったし、低かった自己肯定感がさらに一段低くなった」

 浮気のことはしばらく夫に言わずにいたが、ある日耐えられずに伝えた。

「もうね、大乱闘(笑) 写真が入った携帯を取ろうとする夫と防御する私と。そこに娘が泣きながら起きてくるし、修羅場だった」

 それでも夫婦の生活は続いて行く。
 どうしよう。このままじゃいけない。

 そう思った尾﨑さんは、知り合いのすすめで心のことを学ぶことにした。

・ひとりで頑張っていた頃

「心のことを学ぶと自分が変われるから」そうすすめられ、心理学の学校に入った。
 そこで、学生時代を最後にずっと離れていた「絵を描く」ことを再開した。

「子供の頃、絵を描くことが好きだったという話を先生にしたら「また描けばいいじゃない」って言われて。とにかくまずはじめるんだよ、SNSにどんどん載せたらいいんだよって。
 言われた通りにはじめたら、周りの友達が絵を依頼してくれて」

 誰も知り合いがいなかった名古屋に、少しずつご縁が生まれはじめた。それがとても嬉しかった。

 ところがその頃、夫の大阪への転勤が決まった。
 名古屋から離れたくないと思った尾崎さんは、残ることを決めた。

「3人で住んでた家からは出て、当時2歳だった娘とワンルームのマンションに住み始めた。でもそこの1階がスナックで、夜カラオケの音がうるさくて眠れなくて。なんで私ここ選んだんだろうって(笑)」

 そこで暮らしながら、週3日は仕事へ通い、2日は心理学の勉強と絵の仕事をしていた。
 離婚するから、母子家庭になるから、自分が頑張って働かなきゃいけない。
 そう思い、資格を取ってアロマショップで働き出した。

 一人で頑張らなきゃ。
「私は、強くなきゃいけない」そう思っていた。

 ところがある日、その無理がたたって仕事中に倒れてしまった。

「接客業で気も使うし立ち仕事だし、家では絵の仕事もしながら家事も全部やらなきゃいけなくて。ちょうど娘もオムツ外しの時期だったから、もうめちゃくちゃ忙しくて。貧血で倒れてしまって、お店の人にも迷惑かけちゃうし…」

 病院に行って点滴してもらって帰った。そのときに助けてもらえる人がいないと実感した。実家は遠い。誰もいない。自分だけ。

「あの頃が一番頑張ってたなって思う。それがあるから、いま余計に幸せ」

 心理学の学校で出会った人たちや授業を通して、少しずつ人に心を開き、頼れるようになった。気づけば、友達がたくさんできていた。

 そして学校ではもうひとつ、大きな出会いがあった。

・10歳下の夫との出会い

 今の夫とは、その学校で知り合った。

「第一印象は、若くてしゅっとした男の子。自己紹介の時に「子供が好きなので、娘さんと遊ばせてください」って言われて、24歳でそんなこと言うなんて変わってるなあ。って思った」

 その後、カリキュラムのひとつとして、生徒同士のセッションがあった。
 カフェで彼と話した時、共通点が多く、話が盛り上がった。

「お互いの夢の話をしたのね。こういう生活がしたいとか、こういう風に暮らしたいとか。そしたら、二人とも同じようなイメージを持ってて。
 たとえば、インテリアにはこういうものを置きたいとか、時々旅行に行きたい、とか。どれも日常の小さいことなんだけど、彼に「自分もそういう生活がしたいんです!めちゃくちゃ共感しました!」って言われて」

 ただの生徒と生徒だった関係が、このとき少し縮まった。

 そしてその後、生徒みんなで卒業旅行へ行った時、彼はずっと娘の面倒を見てくれた。
 当時2歳だった娘は彼にとても懐いて、すごく嬉しそうだった。

「いつのまにかお互い意識してたのかな。多分、娘がきっかけだったんだと思う」

 娘が3歳になった頃、夫と離婚することになった。円満離婚だった。

 離婚が決まったあと、前の夫と今の夫が一度だけ会った。
 当時26歳だった今の夫は言った。

「今まで、きぬちゃんとMちゃんを守ってくれてありがとうございます。これからMちゃんの面倒は僕がみるから安心してください」

 そうして尾﨑さんは、新しい家族と未来への一歩を踏み出すことになった。

・「今のパパと結婚してくれて本当によかった」

 とはいえ、10歳下の彼との結婚は、最初から受け入れられたわけではなかったという。

「はじめは、10歳下とか無理!しかも子持ちだし、結婚どころか付き合うのも無理!って思ってた。彼のお母さんも驚いてたみたいだし、ちょっと反対したみたい」

 彼の両親とはじめて会う日のこと、彼の父親から「面接します」と言われた。
 どういう仕事をしているのか。息子のどういうところを気に入っているのか。そんな質問をされた。

「最後にお義父さんに「合格です!」って言われて(笑)
 そのあと、お義兄さんやお義姉さん家族も来てくれて、みんなでご飯食べたの。それがすごく楽しくて」

 それから半年後、2015年の7月23日に入籍した。

「22日が私の誕生日で、24日が娘の誕生日だから、どうしてもその間に入れたいって、夫が。スペシャルスリーデイズにしたいって」

 最初は少し反対したという義理の母も、今では尾﨑さんの娘に「学校で嫌なことがあったら、すぐばあばに言いなさいよ!」と言うほど、味方になってくれているという。

「娘は、今のパパと結婚してくれて本当によかったって言ってる。もし結婚してなかったら、ばあばもいなかったし、いとこたちとも遊べなかったし、みんなで集まるクリスマス会もハロウィン会もなかった。「だから、いまめっちゃ幸せ!」そう言ってる」

 尾﨑さんが子供の頃、放課後は学童保育に行っていた。
 友達と遊ぶのも楽しかったが、お母さんともっと一緒にいたいという思いもあった。
 高校生になってからも、誰もいない家に帰るのが寂しいと思うこともあった。

「母が一生懸命働いてくれてるのは分かってたけど、しーんとした暗い家に帰るのが寂しかったな」

 だから今、必ず娘を家で出迎えるようにしている。
「おかえり」とハグをして「今日もかわいいね」と伝える。

「夕飯なあに?」「今日はハンバーグだよ」「やったあ!」そんな会話でつながる日々。なんでもない毎日。

「自分が子供の頃にして欲しかったことをしてる。だから、こんな子供時代いいなあ、って私も思う。これが何年も続くのは夫のおかげだと思う」

・自分が変わると世界が変わる

 親の離婚、元夫の浮気、それらで下がっていた自己肯定感はいまどうなったか。

「変わった。自分のことを好きになっていく度に、夫から愛されるから、結局自分だなって。自分に自信があると、相手の愛情を受け取れるんだよね」

 受け取ることはすごく大事だと尾﨑さんは言う。

「たとえば、幼稚園でどこかのお父さんがドア開けてくれた時に「いいです!大丈夫です!」じゃなくて「ありがとう!」って言うとか。小さいことを受け取るってすごい大事。自分がやってもらってもいい存在なんだって認めること」

 尾﨑さんも、自信もなく受け取り下手で「どうせ私なんて」と思っていた。

「でもそこから、自分っていいじゃん、受け取ってもいいんだ、私って愛されるべき存在なんだ、愛されてるんだって。そうやって少しずつ段階が変わって「愛されてるんだな」「ありがとう」って受け取るものがたくさん増えた。まず自分が変わること。そうすれば世界が変わるんだっていうのを、すごく感じてる」

 だからこそ。
 彼女はきっぱりと言った。

「うん。自己肯定感が上がると世界は変わる」

・幸せな家族をふやすために

 尾﨑さんが経験した「自己肯定感が上がると世界は変わる」という思い、そしてリーディングという能力を持つ夫の「たくさんの家族を幸せにしたい」という思いをあわせ、2018年に「絵本の1ページ」というサービスはじめた。 

 夫が、家族全員の気質をリーディングとセッションで読み取り、彼女がファミリーイラストを描く。

「パパはこういう気質で、ママはこういう気質で、子供はこう。だからこうしたらうまくいきますよっていうアドバイスを夫がする。私はそこに絵で参加する。これはお金をもらえなくても二人がやりたいことだねって、夫とはじめたの」

 イラストを届けた人たちから「パワーをもらいました」「癒しです」「幸せになります」そんな声をもらったり、みんなが幸せに変わっていくことがとても幸せだという。

「家族を幸せにするっていうのがコンセプト。そのためには母親である自分が、まず幸せになること。そしたら、パートナーシップも幸せになる、子供も幸せになる、家族も幸せになる。そういう仕組みだから」

 気づけば、書いたイラストは100枚を超えていた。

「大切な人たちと、お互い思いやりがあって、心あるコミュニケーションをとれて。そんなやり取りができることに、人生最大の喜びと幸せを感じてる」

 2020年には、夫婦ふたりで「かえるカフェ」をはじめた。

 オンラインサロンとYoutubeから「自分が大好き」「過去も受容できる」「未来が楽しみ」をモットーに、心理学とリーディングを使って発信をしている。

 普段会社員のため顔を出せない夫は、かえるのイラストで「かえる仙人」として登場する。
 かえる仙人の名前の理由は「夫がかえる好きだから」だそう。

「最初、かえると私?って思ったけど(笑)、このファニーな世界がすごく合ってるって言われて、これでいいのかなって」

 そう言って笑った。

 私なんて、そう思っていた過去。
 一人で頑張らなきゃ、そう強がって心に鎧を着ていた過去。

 それらを少しずつ乗り越え、自分が変わることで世界が変わることを知った。
 与えられている「愛」に気づき、受け取ることができるようになった。

 過去の自分のような女性たちがみんな幸せになって欲しい。
 私たちのように、幸せな家族が増えて欲しい。

 きっとこれから、かえる仙人である夫とともに、たくさんの女性を、たくさんの家族を、幸せに導いていくのだろう。

・さいごに

 尾﨑さんがいま感じる「幸せの瞬間」はどんな時だろう。

「夫が夕飯を作ってくれて、娘がピアノの練習していて、その音を聴きながらお風呂に浸っている時。娘が一生懸命練習しているピアノの音と、何作ってるのかなあ、美味しい音がするなあって耳を傾ける。そのあと家族3人で「美味しいね美味しいね」って夕飯を食べてる時。「幸せだなあ」って思う」

 嬉しそうに笑う姿からは、幸せが溢れていた。 

 午後2時を過ぎた頃、「娘の帰宅時間だから、そろそろ」と尾﨑さんは席を立った。
 落ち葉が舞う道を歩く尾﨑さんの手には、娘が好きだと話していたピザの入った袋が提げられていた。

 きっとこのあと、あの優しい笑顔で娘さんの帰宅を「おかえり」と迎えるのだろう。
「ピザがあるよ」と言ったら娘さんはどんな顔で喜ぶんだろう。

 その様子を想像したら、心がほんわか温かくなった。

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です