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2021-12-27

生きてさえいれば、明るい日は絶対にやってくるから〜埋田 智恵さん〜

 浜松駅から程近い場所にある神社、浜松八幡宮。
 緑が多く、頭上からは鳥のさえずりが聞こえて来て、とても気持ちが良い。
 その日は11月の日曜日ということもあって、七五三の親子連れで賑わっていた。

「実は、来週ここで結婚式を挙げるんです」と嬉しそうに、でも少し恥ずかしそうに話すのは、埋田 智恵(うめた ともえ)さん。

 昨年出会った男性と、今年の2月に籍を入れた。
 あまりにとんとん拍子で話が進み「ほんと、自分が一番びっくりしてる」と言ってアハハと笑う。

 その話しぶりから、明るくさばけた性格が伝わってくる。

 埋田さんには、3人の息子がいる。
 最初の結婚は20歳。3人の息子を連れて離婚したのは27歳の頃だった。

 そして現在34歳。

 波瀾万丈の20代を振り返り「あの経験があったから、今が幸せだと思える」という。
 結婚式を1週間後に控えて幸せオーラ全開の彼女に、今までの人生とシングルマザーの子育てについて話を聞いた。

・そろばん漬けだった小中学生時代

 1987年、静岡県磐田市生まれ。
 妹2人と弟1人がいる4人姉弟の長女として育った。

「うち、下の妹と弟が障害者で。私と上の妹は頑張んなきゃとか、面倒見なきゃっていうのがあったかな」

 埋田さんが小学校1年生の時、習い事の一つとしてそろばん教室に通い始めた。
 持ち前の才能からめきめきと上達し、その腕前は小学二年生で1級を取るほどだった。

「二年生の時、大会に出場するための競技選手になって。そこからは週に7日、そろばん教室に通ってた」

 学校が終わると、そのままそろばん教室へ行き、夜の8時9時まで練習をする。
 そんな毎日で、友達と遊ぶ時間もなかった。

 そして小学四年生の頃、父親がそろばん指導に熱を入れ始めた。

「家でもそろばんの練習をやれって言われて。そろばん教室から帰ったら、またそろばん。そのあと学校の宿題もやらなきゃいけないし。本当に嫌で泣きながらやってた」

 上の妹もそろばんの競技選手となり、二人でそろばん漬けの日々を送った。
 その甲斐あって、小学校六年生の時には、静岡県の4大会全てで優勝した。

・1日も早く家を出たかった

 中学校に入っても、そろばん教室へ通う日々はまだ続いていた。

 放課後は吹奏楽部の練習、そのあとそろばん教室へ行き、帰宅したらまたそろばん、そこから学校の宿題をして寝る。そんな生活だった。

 何度も辞めたいと父親に直談判した。
 でも許してもらえなかった。
「学校の勉強があるから」という理屈は通用しなかった。

 父親は厳しく、怒ると手が出る人だった。

「怒る時も感情的に怒る。『やれと言ったらやれ』『俺がダメって言ってるものはダメだ』みたいな。反抗したらもう、バーンって。だからもう言うのも嫌になっちゃう」

「目つきが悪い」と殴られたこともあったという。

 何度も家出をしようと思った。
 でもできなかった。

 やっとそろばんを辞められたのは、中学三年生の時だった。
 高校受験が理由だった。
 最初は反対していた父親も、やっと折れた。

 

 高校でも吹奏楽部に入部した。
 全国大会に出場する強豪校だったため、毎日練習に明け暮れた。

「すーっごい忙しかった。朝練もあったから、朝6時台の電車に乗って行って、帰りも夜10時過ぎ。ほとんど家にいないから、父親からうるさく言われることがなくなった」

 高校卒業後、地元企業に就職した。
 本当は大学に進学したかったが、妹たちのことや家の事情を考え、就職することにした。

 そして20歳の頃、一人の男性と出会い、交際することになった。

「その頃の私の思考回路って、とにかく早く家を出たいばっかりだったの。だから『これ、結婚したら家を出れるんじゃない?子供ができたら出れるんじゃない?』って思って」

 それから程なく、埋田さんの思惑通り、彼との子供を授かった。

・結婚生活は「そんなはずじゃなかった」の連続だった

 20歳で結婚して実家を出た。

「やったー!家を出れましたー!みたいな。超嬉しかった」

 だが、予定とは違うことがいくつか起きた。

「夫の家族と同居って言われて。そんなの聞いてないよって」

 地元の磐田を離れ、伊東市の夫の実家に引っ越すことになった。
 戸惑いつつも「妊婦だし、助かるからまあいっか」そう思ったという。

 そしてもうひとつ、義理の両親も夫も、いわゆる「ブラック」な人たちだった。

「ローンも組めないし携帯も持てないの。だから車も携帯も私の名義で。夫に『なんで言ってくれなかったの』って言ったら『別にいいかなと思って』って。いやよくないよって(笑)」

 その後、無事に長男が生まれた。
 でも義母との関係がうまくいかなくなり、実家を出て近くの市営団地に引っ越した。

「それからは夫婦喧嘩したりもしたけど、二人目も生まれて。少しずつお母さんとの関係も良好になってたかな」

 夫と息子2人と家族4人、つつましくも平和に暮らす日々が一年ほど続いた。

・夫が家に帰って来なくなった

 3人目が産まれた頃、埋田さんの実家がある磐田市に引っ越すことになった。

 夫は、土木関係の仕事に就いていたため、住む場所が変わっても仕事はあった。
 だが、なかなか仕事が続かなかったという。

「すぐやめちゃう。だから私もパートで働いてた」

 そんなある日、夫が「工場の先輩に勧められたから」と、スナックのボーイのアルバイトをはじめた。

 週に3日程度だったが、帰りが遅いせいで昼の仕事に寝坊するという悪循環に陥っていた。

 見かねた埋田さんが「どっちの仕事にするの?」と聞くと「夜の方にする」と夫は答えた。

「正直、え?って思ったけど、仕事続けてくれるならいいかって認めて」

 ところが、夜の仕事に変えてから半年後、夫が家に帰って来なくなった。

「最初は電話したら出て『仕事が大変だったから、先輩の家に泊まらせてもらった』って。だから『帰って来ないなら電話ちょうだい』て言って。でもその次の日も帰って来なくて、また電話して」

 夫の答えはまた「先輩の家に泊まらせてもらった」だった。
 でもその翌日も帰って来なかった。

 電話をするのが面倒になり放っておいたら、1週間帰って来なかった。

「電話したら『忙しい日は泊まってくるから』って言われて。結局そこから1ヶ月帰って来なくて」

 なんとなく「他に女性がいるのでは」という疑いを持った埋田さんは行動に出た。

浮気現場に乗り込んだ日

 まずは、携帯電話の明細を取り寄せることからはじめた。
 発信履歴を見ると、よく電話をかけている番号が3つあった。

 自分で電話をする勇気がなかった彼女は、友達に事情を話し、その3つの番号に電話をかけてもらった。

「ひとつはお店、ひとつは男の人。もうひとつは『女が出たよ』って言われて」

 それを聞いて、予感が的中していると感じた。

 当時流行っていたmixi(ミクシィ)の掲示板に「困ってます。浮気問題などに詳しい人教えてください」と書き込んだところ、浮気調査に詳しい一人の男性が相談に乗ってくれた。

「元探偵か何かで詳しい人で、すぐに来てくれて。それで『車にGPSをつけよう』ってことになって」

上の妹にも協力を要請し、元探偵と3人で夫の車を探した。
 夫が働くお店の近くで車を発見し、GPSをつけた。

 すると翌日、元探偵から「車が動いています」との連絡を受けた。

「仕事を休ませてもらって、その人(元探偵)の車に乗って行ったんですよ。
 1軒目はラブホテルにいて。証拠の写真撮って。でも、一回限りだと証拠としては弱いって言われて。
 そのまま夫のあとをつけてたら、私の実家の近くのアパートに入って行って。え?!ここ?!って」

 どうやらそこが、相手の女性の家のようだった。

 元探偵からは「まだ証拠も何も揃ってないから」と言われたが、埋田さんは「行きます」と言い、夫が入った部屋に向かった。

「ピンポンピンポンって連打して『そこにいるのは分かってるんだよ』って。旦那の携帯鳴らしたらドア越しに鳴ってるのが聞こえて」

 観念したのか、女性がドアを開けた。

「『なんですか?』って言うから、『旦那いるよね?』って。後ろから旦那が出てきて『何?』って。『何?じゃないよ。何してんの?』って聞いたら『俺、ここに住んでる』って。はあ?って」

 元探偵から「まず女性同士で話し合いを」と提案され、女性と二人、その部屋で話をした。

 相手の女性は、夫と同じお店で働いているホステスだった。

「私より5歳ぐらい下だったかな。子供3人いるの知ってるの?って聞いたら『知ってます』って」

 夫が結婚していることも、子供がいることも知っていた。

 でも女性は「子供には申し訳ないと思うんですけど、すごく好きだから別れられないです」と言った。

「え?バカなの?何言ってんの?って(笑)」

 結局、話は平行線のままだった。
 夫からは「もう離婚でいい。子供たちにも会わなくていいし」と言われた。

「『分かった』って言って。でもとりあえず二人には土下座して謝らせて。それから慰謝料に関する誓約書を書いてもらって、私は帰った」

 話し合いを終えて、元探偵の車に戻った。
 その瞬間、緊張の糸が切れ、怒りと悲しみから涙があふれた。

「そこまでは泣かなかった。車の中でわんわん泣いた」

 それでもこの時はまだ、離婚する気がなかった。
「戻って来てくれたらいいな」そんな風に思っていた。

・離婚したくないという意地

 この先どうしたらいいんだろう…、思い悩む埋田さんをもうひとつの不幸が襲った。
 下の妹が病気で亡くなった。21歳だった。

「私がちょうど離婚云々言ってる中で、不幸が重なったよね」

 妹の四十九日が終わる頃、埋田さんは離婚回避のためにひとつの決断をする。
 それは夫の実家へ戻ることだった。

「旦那の実家に住めば、戻って来てくれるんじゃないかって思ったの。私が我慢すればいいって」

 向こうの両親には全ての事情を話してあった。
 引っ越したい旨を伝えると「いいよ」と言われた。

 その年の秋、息子3人を連れて伊東へ引っ越した。
 夫がいない実家で一緒に暮らすという、奇妙な生活がはじまった。

・「俺には関係ない」と言われて

 年末を迎える頃、夫に連絡を取った。
 要件は、夫が乗っている「車」についてだった。

 埋田さん名義の車だったので、返して欲しいと以前から伝えてあった。

「年末に返すって言われてたから電話したら『1月2日に返す』って言われて。じゃあよろしくって」

 電話をした日は12月29日。その日は次男の3歳の誕生日だった。
 それを夫に伝えると「ああそうだね」とだけ答えた。
 それだけか…、そう思った。

 そして1月1日、元旦。
 夫に電話をすると「俺、今飲んでるから、明日車返せねえわ」と言われた。

「そんなん知らないよ返してよって言ったら『警察でもなんでも呼べば?』って言われて。分かった好きにするわって」

 その電話で生活費についても追求した。
 浮気相手の家で取り決めた生活費も養育費も、結局一度も払われていなかった。

「生活費払ってよ、いつ払うの?って聞いたら、『あのさ、お前らの生活費、俺には関係ないから』って言われて。血の気がさーって引いちゃって。
 お前らの生活、俺には関係ないって、どういうこと?人間なの?って。お前の子供でもあるだろって思ったけど何も言えなくて、もう言葉が出なくて。『もういい分かった』って電話切って。もうだめだ。離婚しようって」

 彼女の中で、何かがプツリと切れた。

・離婚成立までの道のり

 まずは車を取り返しに行くことにした。

「私、スペアキー持ってたから、妹の車でお店まで行って、旦那がいないのを見計らって取り返してきた。急げ急げー!って(笑)」

 翌朝、夫から電話がかかって来た。
「車、持ってった?」と聞く夫に「最近寒いから、風邪気をつけなよ」と返して、電話を切った。

 数日後、夫の実家がある伊東に戻った。
 離婚への意志は固まったものの、仕事や子供たちの学校もあったため一旦戻るしかなかった。

 夫から取り返した車を走らせながら、埋田さんは5歳だった長男に聞いた。

「もうパパとは会えなくなるんだけど、大丈夫?母ちゃんと4人で暮らすことになるけど平気?さみしくない?」

 すると息子は言った。

「大丈夫だよ。俺、早く大人になって、パパの代わりになるから」

 この言葉が、彼女をずっと励まし続けたという。

「本人は覚えてないけど、この言葉のおかげで私は頑張れた」

 そこから離婚に向けて、本格的に動き始めた。
 夫がお金にルーズなことは分かっていたため、家庭裁判所で離婚調停の手続きをした。

 夫の実家から出るために、新居も探さなければいけなかった。

「3月に第一回の審判があって。向こうの実家を出てアパートに引っ越しもして」

 その頃、保険の外交員として働いていた。
 上司の女性がとてもきつい人で、振り回される日々だった。

「すごく大変だった。ノルマに厳しいし、言ってることが毎回変わるような人で。毎日、お母さんに電話して『仕事行きたくない』って泣いてた」

 離婚のこともあり、精神的に追い詰められた彼女は、適応障害になってしまった。
 何もしなくても涙が出て来るような状態だったという。

「もう無理。ここにいても誰も味方がいないじゃんって」

 会社を退職し、実家のある磐田へ逃げるように帰った。
 それでも実家には戻らず、アパートを借りて4人で暮らすことにした。

 季節が夏に変わろうとする頃、やっと離婚が成立した。

・ゼロからのスタート

 翌月、最初の養育費支払いの日が来た。

「支払われない。想像はしてたけど(笑)」

 裁判所から元夫に連絡を取ってもらったところ、「スピード違反で捕まって、罰金払ったんで払えません」という返信が来た、と言われた。

 そして、その翌月も支払われることはなかった。

「もし資産の差し押さえをするなら、また違う裁判所に行かなきゃいけないって言われて、もうそこに労力を使いたくないなって。もう考えたくない。お金もいらない。私は子供たちと幸せになろう。それが一番の復讐だって思ったら、どうでもよくなったの」

 結局元夫からは、1円も支払われることはなかった。

 新しい生活のため、埋田さんは就職活動をはじめた。
 以前働いていた大手メーカーでの「期間従業員」の募集を見つけ、応募したところ採用された

「働き始めはきつかったかな。生活にも慣れないし、お金も安定してないし、貯金もほとんどなかったし」

 しかし1年後、狭き門と言われた正社員試験に合格した。

「少しずつ、子供たちの貯金だとか自分の貯金とかに回せるようになって。生活が安定すると、気持ちも安定したよね」

 やっと前を向いて歩き出せたのは、埋田さんが28歳の頃だった。

・大切なのは、自分のご機嫌を取ること

 子育てをしながら働く日々は、とにかく忙しかった。
 4人暮らしを始めた頃、長男が小学一年生、一番下はまだ乳飲み子だった。

「仕事終わって、学童と保育園にお迎え行って、帰ってきたらご飯作って、お風呂やりながら、洗濯取り込んで、『お手紙出して!』って上の子に言って、下の子のおむつと洗濯物出して、連絡帳出して…。
 気づいたら一緒に寝てて『だめだめ、まだ洗濯してない』って起きて。本当に大変だった」

 子供たちが大きくなり、手伝ってもらえることも増えた。
 洗濯ものを取り込んで畳む、ご飯を炊く、お風呂を洗う。
 簡単なことから少しずつ「できることは全部やってもらってた」と話す。

 それは、将来子供たちが自立した時のため、そして埋田さんの「時間の余裕」そして「心の余裕」を作るためでもあった。

「空いた時間で、夕飯の料理もう一品作ろうかな、手の込んだ料理作ろうかな、とか思える。それが心の余裕にもなる」

 埋田さんが子育てをする上で心掛けていることが、大きく2つあるという。
 ひとつめは「自分を大切にすること」。

「自分のご機嫌を取るために、自分の時間を10分でもいいから取るようにしてた」

 子供たちが大きくなってからは、一人で外出する時間も作った。

「ちょっと買い物行くとか、しまむらで服見るとかさ。
 昼間、子供たちがゲームしてる時間だったら、そんなに危ないこともないし『母ちゃん、ちょっとここに行って来るね』って」

 子供と少し離れて自分の時間を作ることで、心に余裕ができる。
 そうすることで、子供に優しくできるのだと彼女は言う。

「お母さんだから子供の面倒を見なきゃって一番に考えちゃう。それは当たり前なんだけど。
 でも、自分がイライラして子供たちを大事にできてないって思った時は、子供たちから離れた方がいいと私は思ってる。離れた方が優しくできるの。帰ってきた時に、『ただいま子供たち!』って笑顔になれる」

 でも世のお母さんたちの多くは、より近づいちゃうよね、と埋田さんは話す。

「子供はかわいいはずなのに、怒っちゃう私はダメな母親だ…みたいなさ。私ももちろん、そういう風に思ったこともあるし、今でも悩むよ。
 でも、そういう時って、距離も気持ちも詰まりすぎてるの。心の中が子供たちでいっぱい。1ミリも自分がない。子供たちにばっかり目を向けて、子供たちにばっかり怒る。で、最後に自己嫌悪になる」

 だからこそ、あえて子供たちと距離を置く。
 イライラする時ほど、自分の時間を作って自分のご機嫌を取ることが大事だと話す。

 そしてもうひとつ心掛けているのは「お母さんを独り占めできる時間を作ること」だという。

「3人平等に接するように心がけてたのはもちろんだし、子供たち一人一人との時間も取るようにしてた。他の2人を実家に預けて『今日はデートしよう』って」

 そのひとつに、「六年生になったら二人でディズニーランドに行って一泊する」という決め事があるという。

「今年、真ん中が六年生だから、年が明けたら行こうねって計画してる」

 楽しそうに話す様子に、親子の仲の良さが見えた気がした。

6歳上の彼との出会い

 埋田さんに運命の出会いが訪れたのは、2020年の春のこと。
 少し前まで婚活をしていたが、新型コロナウイルスの影響もあり「しばらくやめて、自分磨きでもしよう」と思っていた時期だった。

 同僚との飲みの席で、ひとりの男性と出会った。

「別の部署の人だったから会ったことはなくて。顔は見たことあるかな、ぐらいで」

 彼は埋田さんより6歳年上で、結婚歴があったが現在独身だった。
 初対面でなんとなく、「この人いいな」と思ったという。

 連絡先を交換し、LINEをする仲になった。
 2回目のデートで、交際することになった。
 3回目のデートでは「子供たち、転校することになるけど、いつ頃がいいかな?」と聞かれた。

「ん?どういうこと?って思ったけど『聞いてみるね~』って(笑)」

 彼は交際する前から、結婚について真剣に考えてくれていた。
 だから、自身が長男であることや、両親と同居になることなど、全て話してくれていた。

「すごく誠実なことが伝わったし、この人なら絶対大丈夫だって思った」

 色々考えた結果、子供たちの進学のタイミングに合わせ、3月の春休みから一緒に住むことになった。

「入籍は2月に。付き合った日から半年後が2月だったから、2月に入籍しようって」

 そうして、交際から半年で入籍することになった。
 自分でも驚くほど、とんとん拍子だったという。

「うまくいく時って、反対する人が周りにいないんだなって」

 まるでレールが敷かれているかのように、するすると結婚まで辿り着いた。

 ちなみに、彼からのプロポーズの言葉は「ずっと一緒にいてね」だったという。

 どう答えたのか聞くと「もちろん!って言いました」と答えたあと、「ちょっとー、恥ずかしいんだけど!」そう言って、くすぐったそうに笑った。

・新しい父ちゃんとの初対面

 はじめて夫と子供たちが会ったのは、プロポーズから少し経った10月のある日だった。
 その日の朝、子供たちに「新しいお父さん、できたら嬉しい?」と聞いた。

「『え!できるのできるの?!』って。もともと新しいお父さんが欲しいってずっと言ってたの。それで『いつ会うの?』って聞くから、今日だよって(笑)」

 初対面の場所は、埋田さんの自宅だった。

「新しい父ちゃんだよって紹介して、そのままご飯を食べに行ったの」

 家族でのはじめての食事は、焼肉だった。
 子供たちは、新しい父ちゃんの隣の席を取り合ったという。

「彼は緊張するって言ってたけど、私はどっちも知ってるから絶対大丈夫だって。もう全然大丈夫どころか、いきなりなついてた(笑)」

 その日から、家族みんなで釣り堀に行ったり、旅行に行ったりした。
 いつでも父ちゃんの隣は奪い合いだという。

「誰が手を繋ぐかって喧嘩する。そこには私も入るんだけどね(笑)」

 今、埋田さんは夫の実家で同居をしている。
 夫の両親に祖父、あわせて8人の大家族だ。

 にぎやかだよ、と笑ったあと「本当に、なんの不満もない」と埋田さんは言った。

「一緒に暮らし始めて、子供に対して怒る頻度が減った。気持ちが穏やかになったのもあるし、今までずっと一人で見なきゃいけないってピリピリしてたのがなくなった。夫が怒ってくれるのもあるし」

 夫は子供たちをちゃんと叱ってくれる。ダメな時はダメだと怒る。

「そうやって、自分の子供として接してくれるのがすごく嬉しいし、自分の友達に『うちの上の息子がさあ』って話してくれるのも、なんか嬉しいんだよね」

 そう言って目を細めた。

・いま、どん底だと思う人に伝えたいこと

 埋田さんがインタビューを受けたいと思ったのは、過去の自分のように、シングルマザーで頑張っているお母さんたちへ伝えたいことがあるからだという。

「もし今、離婚に悩んでるとか、子連れで再婚なんてできないって思ってる人の希望になれたら良いなって思ったの。私でも再婚できたんだから、みんな絶対できるよって。
 だって、うち子供3人だよ?しかもひとり思春期だし」

 そう言ってからからと笑ったあと、続けた。

「シングルマザーって、一人で母親も父親もやらなきゃいけない。面倒みなきゃいけない。働いてお金どうにかしなきゃいけない。塾に通わせなきゃいけない。全部『しなきゃいけない』って、追い込んじゃう人もいる」

 埋田さん自身、一番つらかったのは離婚調停中だったという。
 元夫と連絡をするためにLINEを開くと、彼のアイコンは新しい彼女とのツーショット写真だった。

「なんでお前だけ幸せになってんのって恨んだし、仕事もつらかったし、でも子供たちの面倒もみなきゃいけないって追い込まれて。
『もうどうでもいいや』って投げやりな気持ちにもなって、死んだらどれだけ楽なんだろうって思ったこともある。けど『今、私が死んだら子供たちどうするの?』でとどまってた」

 だから、もし今、あの頃の自分のように「もうどうでもいいや」という気持ちになっている人がいるなら伝えたい。

「子供たちのために、お願いだから生きて」と。

「笑顔でいろなんて言わないし言えない。笑顔じゃなくていい。私も笑顔じゃなかったから。子供の前でも思いっきり泣いてた。ただ生きてればいいから。生きていれば必ず光はある。
 今がつらくても、子供のために今を生きて欲しい。そうすれば絶対いいことあるから」

そして、子供を「立派にちゃんと育てなきゃ」と思い、追い込まれている人に伝えたい。

「大丈夫。子供は育つから。立派かどうかは分からんけど(笑)」そう言ってちょっと笑ったあと、真っ直ぐ前を向いてもう一度言った。

「絶対明るい日はやってくる。絶対、やってくるから。大丈夫だから」

・さいごに

 後日、結婚式の写真が届いた。
 そこには、幸せそうな二人の笑顔が並んでいた。

「結婚して、あったかい家庭を築きたかったんだと思う」そう話していた埋田さん。

 20代の辛かった結婚生活を経験しても、まだどこかに「結婚はいいものだ」という思いがあった。

「うち、親が怖かったし、元旦那もあんな感じだったから、幸せな家庭を描いてこれなかった。でも、周りの幸せな家庭を見てるといいなって思ってて」

 最初の結婚生活はつらいことが多かった。
 もう笑える日なんて来ないと思ったこともあった。

「でも、あの経験があったから今がある。人生の勉強になったなと思うし、今すごく幸せだなって思える」

 夫と一緒に、家でお酒を飲んでいる瞬間。
 並んで本を読んでいる時間。
 一緒に家族で朝ごはんを食べる時間。

 ふとした時に「幸せだなぁ」と感じるんだと話してくれた。

 これから父ちゃんと母ちゃん、そして3人の子供たちで、幸せを感じる瞬間をひとつひとつ積み重ねて、あったかい家庭を作っていくのだろう。

 そしてその真ん中で、彼女の笑顔は咲き続けるのだろう。

 新しい家族5人の、うるさいぐらいに賑やかで幸せな日々を想像したら、思わず頬がゆるんだ。


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