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2021-08-30

人が魅力的になっていくところを見るのが楽しいし面白い〜丸山 嘉嗣さん〜

「ここの席は光がいい感じに入るから、綺麗に撮れるよ」

 海の近くにあるカフェの窓際でそう言うのは、「人柄写心家Tsugu」こと丸山嘉嗣(まるやまよしつぐ)さん。

「海の近くに住みたいと思ったから」という理由で、昨年2020年の終わりに東京から神奈川県藤沢市へ転居してきた。

 現在は一人暮らしで、うさぎを一匹飼っているという。

 うさぎの名前は「チョコ」。
 見た目が茶色なのかと思いきや「誕生日が2月14日のバレンタインだったから」と、ぼそりと答える。

 決して愛想良くニコニコと媚を売るタイプではない。
 183cmという長身と体格の良さもあり、初対面だと少し圧すら感じる。
 なのに、バレンタイン生まれのうさぎに「チョコ」とは。

 見た目とのギャップにちょっと驚く。

 カメラマンになって11年目。

 2016年から、年に2回開催している「100人撮影」は毎回満席。
 撮られた女性たちは新しい自分に出会い、輝き、飛躍していく。

 学生時代「とにかく、ただただモテたかった」と話す彼が「人柄写心家 Tsugu」になるまで、そしてこれからのことについて話を聞いた。

・ただ「モテたい」と思っていた学生時代。

 1983年10月 千葉県松戸市生まれ。
 幼い頃は東京都の北区に暮らしていた。
 家族は5歳上の兄と両親。
 父親はあまり家に帰ってこない家庭だった。

 幼少期の記憶はそんなにない。
 覚えているのは、兄と一緒に野球をやっていたこと。

「保育園の年中から小学6年生までやってた。ポジションはセンター。足が早かったから」

 そして「とにかく、どうやったらモテるかを真剣に考えてた」と丸山さん。

 子供の頃から運動神経が良かった。
 50m走では6秒台。運動会では毎年リレーの選手に選ばれた。
 木登りも得意で、棒倒しでも活躍する少年だった。 

 足が速いとモテるイメージなのだが、「そんなに甘くなかった」と笑う。

 ずっと「モテること」つまり「自分をどうやったら魅力的にできるか」それを常に考えていた。

 かっこよくなるために、ファッション誌を毎月2~3冊買い、恋愛本もたくさん読んだ。
 心理学の勉強をしたり、かっこいい俳優のかっこいい仕草を研究して、真似してみたりもした。

 そして社会人2年目の時「一生懸命やってる人が、一番魅力的だ」ということに気づく。

 それは、たまたま旅行で立ち寄った夏の甲子園球場でのことだった。
 白球を必死に追う高校球児たちを見て「これだ」と思った。

「高校野球ってプロに比べたら全然上手くない。エラーもトンネルもする。でも命かけて本気でやってるから、これだけの人の心を動かしてるんだって思ったの。ここにモテる秘密があるなって」 

「人間、中身があればモテるんだけど、最初はない。ないんだったら、そこで勝負しちゃだめじゃん。じゃあ、自分が今から勝負できるところはどこだろうって考えた時に、一生懸命さだなって」 

 過去の話を聞くとすべてが「モテたかったから」につながる。
 一体、どうしてそんなにモテたかったのか。

「多分、求められてる感が欲しかったんだと思う。親父があんまり帰って来ない家だったから、愛されたいとかそういう欲求が多分、すごく、あったんだと思う。認めてもらいたいというか、愛されたい。かな」

 でも30代になったある時、ふと力が抜けて自然体でいられるようになった。

「振り返ると、何をそんなに頑張ってたんだろうって思う。でも、あの足掻いていた時間が成長させてくれたから、無駄ではなかったと思う」

 あの頃モテたいために学んだコミュニケーション術は、カメラマンになった今もいきているという。

・経営者だった父から渡された一冊の本。

 昔からカメラマンに憧れていたわけではなかった。
 高校生の頃は、美容師になろうと思っていた。
「なんとなく、かっこいいと思ったから」そんな理由だった。
 大学時代は、カフェのオーナーになりたいとぼんやり思った。

 そんなある日、システム会社を経営していた父から一冊の本を渡された。
『金持ち父さん貧乏父さん』という本だった。

「それを読んで、美容師はまたいつか『なりたい』って思ったら、それからなっても遅くない。カフェは60歳過ぎた頃にやったら面白いだろうなと思って。どっちも今じゃなくていい。今叶えたいことじゃない。『いつかでいい』レベルだと思った」

 そして大学3年の後半、いよいよ就職活動の時期が来た。

「じゃあ、今やりたいことはなんだろう」そう考え行き着いたのは、父親が経営する会社に入社することだった。

「社長の息子として会社に入るっていう経験は、みんなができるもんじゃないなって。だから一回入ってみようと思って。親父には言わずに、しれっと募集サイトから登録して会社説明会に行って。でもすぐバレたけど(笑) 面接で『社長の息子さんですよね?』って聞かれて『はい』って」

 無事に就職が決まり、「社長の息子」として働き始めた。
 立場上「いい思いをした」と話すが、部署異動なども重なり気持ちが変わった。

「俺を見てもらえなかったっていうのも結構ある。後ろに親父がいるから俺と仲良くするというか、そういうのがあったからさ。それが目的で入ったんだけど、結局それが嫌になった」

 カメラとの出会いもあり、4年半で退職することになった。

・カメラかプレステか。人生の分かれ道

 父の会社で働きはじめて最初に出たボーナスで、一眼レフを買った。

 実はその時、プレイステーションを買うか一眼レフを買うかで迷ったという。

「特に大きな理由はなかった。この金額だったらプレステかカメラかな、ぐらいの感じ」

 カメラの経験はなかった。撮りたいものも特になかった。
 でも「面白そう」という理由で、プレステではなくニコンの一眼レフを買った。

 その夜、自分の部屋で鏡ごしに自分を撮った。
 それが最初の一枚だった。

 

 それから、花や風景や空を撮っては、パソコンに取り込んで見ていた。

「綺麗に撮れるし、撮ることがとにかく楽しかった」

 当時はまだブログもインスタもなかった。
 誰かに見せるわけでもなく、自分で見て楽しむだけだったという。

 でも少しして「もっと上手に撮れるようになりたい」そう思い、カメラを学び始めた。たまに知り合いからカメラの先生を紹介してもらい、写真を見てもらうこともあったが、ほとんど独学で学んだ。

 しばらくずっと物や景色を撮っていた丸山さんが、人を撮るようになった最初のきっかけは、兄の友人の一言だった。

「兄貴の友達がプロカメラマンやってたのね。雑誌の表紙とか撮ってる人で。その人から『人を撮らないと金にならないよ』っていう話を聞いて、なるほど、と思って」

「じゃあ俺も人を撮ってみよう」そう思い、友達に「ちょっと撮らせて」と声をかけた。

 実際に人を撮ってみたら、予想以上に難しかった。 

「距離感も掴まなきゃいけないし、喋りも考えないといけない。考えることめちゃくちゃ多いじゃんって。それが面白かったの。これは、俺次第で全部変わるなって。どんなコミュニケーションを取るか、どんな距離感で撮るか、どの位置とか高さとか、それが全然違う。時間かけられないから瞬発力も必要だし、すごく難しいけど面白い。だからやってみよう。って」

 そしてこのあと、カメラマンへの道が開く出来事が起きた。

・はじめての写真展で得た自信

 2010年の春、mixiで知り合った人から突然、「うちで写真展やりませんか?」とメッセージが届いた。

「全く知らない人から。最初は『誰だこれ?』って。とりあえず会いに行って話したら、なんか面白そうだなと思って」

 場所は、北池袋にある築2、30年の3階建ての一軒家。シェアハウスだった。
 写真展にと言われたのは、その3階にある6畳の部屋だった。

「6畳と押入れとベランダ。そこを好きに使っていいからって。ちょっと前まで人が住んでたから物が残ってて、掃除からはじめた」

 そして2010年8月22日から1ヶ月半、はじめての写真展『こころの動いた瞬間』を開催した。

 当時はまだ会社員として働いていたため、平日の夜と土日だけのオープンだったが、300人が来場した。

「知り合いが来て『すごいよかった』って、知り合いがその知り合いを連れて来て、さらにその知り合いが知り合いを連れて来て…っていう、数珠繋ぎを多分6段階ぐらいまで。ご縁がご縁を呼んで、広がって」

 それが自信になった。
「カメラマンになろう」そう決め、翌月9月で父親の会社を退社した。

 10月「カメラマン 丸山嘉嗣」が誕生した。

・会社員をやめ、ゼロから「カメラマン」としてのスタート

 写真展でたくさんの人に来てもらったとはいえ、実績も仕事も何もなかった。
 いきなり、収入がゼロになった。26歳の時だった。

「やべえ、何したらいいんだろう」そう思った丸山さんは、有名ホテルでパーティーの配膳係のアルバイトをはじめた。

「結婚式の撮影とか見れるだろうって思ってさ。でも全然見れなかった。そんな余裕まったくなかった。設営から料理出して片付けてって、全部やってた。超きつかった」

 そんなとき、兄が家族を連れて実家に帰って来たことで、更なるピンチが訪れる。

 当時、丸山さんは実家に住んでいたが、収入がないため家にお金を入れていなかった。
 それを知った兄から「金を入れろ」と言われ、喧嘩になった。

「入れられるなら入れてるよ!ってキレて、じゃあ俺が出てく!って。金がないのに一人暮らしをはじめた。ほんとギリギリで。池袋駅徒歩17分の、築30年か40年のアパートの1階。ベランダのない部屋だった」

 このままじゃまずい。そう思った丸山さんはビジネスコンサルを受けることにした。

「コンサル料が、3ヶ月で15万円だったかな。ほんっとになけなしの金だったけど、藁をもすがる思いで行って。言われたこと全部やろうと思って…全然やんなかったんだけど(笑)」

 ただひとつだけ、言われたことをやった。
 それが「プロフィール写真を撮りなさい」というアドバイスだった。

 写真展からこつこつと繋いできたご縁を頼りに、片っ端から連絡した。
 抵抗は何もなかった。必死だった。

 結果、30人が集まった。

 スタジオを借り、メイクさんも知り合いのツテで頼み、30人を2日間で撮影した。
 料金は1人 1万5千円にした。

「スタジオの相場もメイクさんの相場も全然分からないから、売り上げの半分が経費になってた。高いなあって思いながら。無知だったよね」

 はじめて自分で立てた企画は、当時の丸山さんにビジネスの感覚を掴ませた。

「楽しかったんだけど、超疲れた。仕事するってこういう感じなんだって思った」

 そこから毎月、月に2日間、スタジオを借りて「プロフィール撮影会」を開催した。

 最初は収入が安定しなかった。
 人が集まる月もあれば、全然集まらない月もあった。

 でも、徐々に口コミが広がり、撮影依頼は増えて行った。

・雰囲気を写すカメラマンになりたい

 丸山さんの肩書きは「人柄写心家」だ。
「写真」ではなく、心を写す「写心」と書く。
 この言葉は彼自身が考えたという。

「カメラマンになるときに、その人の『雰囲気を写す人』になりたかった。『美しく撮る人』はいっぱいいるから、その土俵に上がっていったら確実に負けるなと。だからその人を撮るんじゃなくて、その人の醸し出す雰囲気とか気配とか空気感を撮る人になろうと思った」

(Model:Emiko Kogiso)

 そう思い撮影を続けて2年が経った頃、丸山さんが撮影をした人や、その写真を見た周りの人から「雰囲気が出てるよね」「心が表れているような写真だね」と言われるようになった。

・自分の気持ちを無視して訪れた暗黒期

 2013年の春、プロフィール撮影やコンサル業などで月商が100万円を超えた。

「当時『月商7桁』って言葉が流行ってて、それを超えたらすげーみたいな。いつか超えたらいいなと思ってはいたんだけど、実際超えたら『次の目標はなんだろう?』って考えちゃったの」

 もともと目標を立てるタイプではなかったのに、その時は「何か目標を」と思ってしまったという。

「そっからスランプ。元々、好きなことをどんどんやろうとか、楽しいことを仕掛けていこうっていうタイプなのに、目標立てようとするから何も思いつかない。でも仕事はいっぱい来る。どうしようって。なんか、ゆるやかに落ちていって」

 仕事に関しては全力を尽くせる。でも仕事が終わったらいつも「どうしよっかなあ」とぼやいていた。
「そのままでいいんじゃないの?」と人に言われても「いやだめだ」と頑なに思っていた。
 無気力なその状態は、半年ほど続いた。

 ところがある日「もう、ダメでいいや」と、半分投げやりに思う日が来た。

「もういいもういいって。目標なんかなくていいし、好き勝手にやろうって。100万円達成しなくてもいいや。楽しくやってたらまた超えるんじゃないかなあって。そこからモチベーションが回復した。多分、落ちきったんだと思う」

 その時「面白いこと、何をやろう?」そう思って始めたのが「写心の学校」だった。 

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: IMG_0479.jpg

「撮影ノウハウを学ぶんじゃなくて、心を写すということを学ぶ場所。自分の心を見つめ直したり、これからどういう風にしていきたいかとか、そういうことをみんなでたくさん話し合ったり、カメラを通じてやっていこうねっていう場所」

 17人の生徒が集まった。全員に全力で接した。
 自分と向き合うことで、毎回生徒の誰かが涙した。
 メンバーはそれぞれ変化し、卒業していった。

・やっぱり撮るのが好きだから

「写心の学校」は4期まで続いた。
 気づけば教えることが増え、撮影の件数が減っていた。

「仕事自体がつまらなくなったの。それで、原点回帰をしたんだよね。自分がなんでカメラマンになったのか。どういう思いでやっていくのかって立ち返ったときに、やっぱり撮るのが好きだって気づいて。じゃあ来年はたくさん撮る年にしよう。って決めて、よし100人撮影しようって」

 そして翌年の2016年、「100人撮影」がはじまった。

 それから現在までの6年間、春と秋に100人ずつ撮影をしている。
 多い時は、1日に5人撮影することもあるという。

 レンズが入った鞄を背負い、カメラを持って立ったり座ったりするのは、男性と言えども重労働だ。

「100人撮影が終わると何キロか痩せるし、上半身は一回り大きくなる」

 もちろん、それ以外にも撮影の仕事はある。
 それでも「撮影が楽しい」と丸山さんは言う。

「シャッターを切ってる瞬間が一番楽しい。どうしていこうかな。この人をどう調理していこうかな。って。どう切り取ってどう見せるのがいいのかを、リアルな現場で見て、こうしようああしようって考えるのが楽しい」

「100人撮影」では、毎年撮ってもらうリピーターも多い。
最初はカメラの前でぎこちない笑顔を浮かべていた女性が、次の撮影では輝くような笑顔で堂々とカメラの前で笑ったりする。

 そんな風に、撮影した人が変わっていく様を見るのが「面白い」と言う。

「人が魅力的になっていくところ、成長していくところを見るのが楽しい。そこに関わっていけるのは面白いなって」

(Model:Nozomi Kito

 ただ写真を撮るだけじゃない。
 撮影という体験を使って、人を魅力的にしたい。

 それがいまの「自分の使命」だと話す。

「いまのところ、一生かけてやるつもりだけど、変わるかもしれない。でも人を魅力的にするっていうところは変わらないと思う」

 過去の自分がずっと考えていた「どうしたら魅力的になれるのか」という気持ち。
 それが今、人を「どうしたら魅力的にできるのか」に繋がっている。

・目指すのは「101%の自分」

 100人撮影をはじめて6年。
 毎回満席という人気の裏には、常に努力を怠らない姿勢があった。

「撮影でもなんでも100%の力を出す。『7割8割でいいや』じゃなくて、常に100%を出し切ること。」

 そして、100%頑張ったその先へ進むにはどうしたらいいか、それをずっと考えているという。

「より多くの人に届けるためにとか、来てくれる人がもっと感動してもらえるようにとか。いま自分が描ける未来のその先を、常に意識したり見に行こうとし続けること。これが大事だと思ってる」

 努力の先に目指すのは「101%の自分」だと丸山さんは言う。
 その1%とはどこにあるのか。

「次の円を描き続けるってこと。たとえば、今日の撮影がすごくうまくいきました。でも、この先にもっと届けるためにはどうしたらいいんだろう?って考えて、トライアンドエラーを続ける。そうじゃないと次の円は描けない。同じ場所をぐるぐる回り続けるだけだと成長もないし、人気も途絶えると思う」 

 今までに1,500人以上を撮影して来た。
 でも、自分が撮った写真を見て「100点満点だ」と思ったことは一度もない。

 もうちょっと、こうしておけばよかった。あと一歩、いやあと半歩でも詰めていたら距離感が変わったかもしれないな。あの時の言い方を変えてたら違う伝わり方をしたんじゃないか…それらの気づきや思いを、次からの撮影に活かしていく。

「もうさ、重箱の隅の隅の隅を突くようなことなのよ。でも、それを分かるようになれてることも嬉しい。細かいところが見えるようになったのは、成長しているがゆえだから」

 1%はとても小さな数字だ。
 でも、それをずっと積み重ねて来た。
 いつの間にか大きな成長になっていた。

「もしも、今の自分の写真を6年前の自分が見たら?」という問いに「400点だよ。すっごい成長してると思う」と言って笑った。

 

 今もずっと1%の努力を続けている。
 撮影の技術はもちろん、カメラに関する情報収拾も怠らない。コミュニケーションやビジネスのことも常に学び続けている。

「俺が変わり続けるから関わる人も変わっていくし、見ている人も面白いと思ってくれる。やっぱり進化がないと面白みがないじゃん」

 だからこれからも「101%の自分」を目指して、成長をし続ける。

 でも、その努力は表には出さない。
「だってそんなの出す必要ないじゃん」と言う。

 ただ飄々としているように見える裏には、地道な努力が隠れている。

「一生懸命やるのが当たり前だから」ぼそっとそう答えた。

・さいごに

 撮影を通して、たくさんの女性を魅力的にしたきた彼に「人はどうしたら輝けると思うか?」と尋ねると、「『自分』で生きられるようになったら」と答えた。

「みんな、たくさんの『面』を作っちゃってる」と、丸山さんは話す。
 友達に見せる顔、家族に見せる顔、職場で見せる顔…そんな風にたくさんの顔を作って、疲れている女性が多い。
 それらの顔を手放して「自分」で生きられるようになったら、人は輝き始める。

 

 彼自身、昔は八方美人で色々な顔を持っていた。
 でもいまは、自分を生きている。誰にも媚を売らない。

 いつでもどこでも誰に対しても、見せる顔はいつも同じだ。

 だから撮影される人も、思わずそのままの姿を晒してしまうのかもしれない。
 そして「ああ、このままでいいのか」そんな風に思い、色々な顔を手放して「そのままの自分」を受け入れるのかもしれない。

 現在、撮影だけではなく、講座やセミナー、コンサルティングなど、様々な方法で「女性を魅力的にする」活動をしている丸山さんは、これからどこへ向かうのか。

「いま、新しいことをどんどん始めてる。はじまりはノリと勢い」

 そう笑った後、言った。

「どこにでも行っていいんだと思うし、何を感じるかを感じながらやりたいって感じ。目的地を決めることは面白くなくなっちゃうから、自然と歩き出すような状態を作っていきたい」 

 彼との出会いを通して、輝き出した女性たちがたくさんいる。
 たくさんの顔を使い分けて疲れている女性たちが「自分で生きられる」ように、彼はこれからも媚びず飾らずおだてず、女性たちを変えていくのだろう。

「生きてることが楽しいから。写真撮るの楽しいしね」

 さらっとそう言って窓の外に目を向けた。
 その目には、どんな未来が写っているのだろう。

丸山嘉嗣さんHP https://tsugu-photo.com/


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