撮られることを文化にしたい〜フォトグラファー 小木曽 絵美子さん〜
「私は、未完成のヒーローでありたいと思っていて。完成しちゃうと、そこで成長が止まってしまう。でもそんな自分は嫌だなって。常に前に進みたいから」
そう話すのは、フォトグラファーの小木曽絵美子(こぎそ えみこ)さん。
現在、岐阜県恵那市で、小学校6年生の息子と義理の両親と4人で暮らしている。
「昨日は家に帰る途中、鹿2頭と猪に遭遇しました」と笑う。
ちらりとのぞく八重歯が、とてもキュートだ。
「子供の頃は、とにかくおとなしい子で」と話す彼女は、今でも大きな声でハキハキ喋るタイプではない。投げた質問に対して時には考え込み、言葉を選んで静かに話す。
「物静かでおとなしい女性」という印象を受けるが、その胸の中には誰よりも熱い炎を燃やしている。
「撮られることを文化にしたい。ネイルサロンや美容院へ行くのと同じように、女性が綺麗になるために『カメラマンに写真を撮ってもらう』ことを当たり前にしたい」
その思いを胸にフォトグラファーとして活動をはじめて4年。途中、夫の死という大きな困難もあった。
それでも夢とカメラを放さず、熱く静かに歩み続ける彼女から、前に進む理由を聞いた。
・思わずシャッターを切った。学生時代に訪れた人を撮るきっかけ。
彼女が撮影する被写体は、主に女性だ。プロのモデルではなく、主婦やOL、ママなどいわゆる「普通」の女性たち。
昨年、その「普通」の女性たち100名を無料で撮影し、名古屋で写真展を開催した。
写真展の入り口には、こんな言葉が書かれていた。
『今回写真展を開催する理由は、私の写真を見ていただきたいからではありません。
撮影した写真が額装され飾られる体験を通して、それぞれの女性が花開くように変化してくださると思ったからです』
彼女は信じている。写真を撮られることで女性が美しくなることを。
だから「撮られることを文化に」して、女性たちにもっと輝いてほしい。
そんな夢を追う彼女が、人の写真を撮るようになったきっかけは、学生時代にあった。
デザインの専門学校に通っていた頃、見学で訪れた繊維工場で働く女性たちが「あまりに楽しそうだったから、思わずシャッターを切った」それが最初だった。
「もともとカメラは好きで、景色とか空を撮ってたんだけど。工場のおばちゃんたちがすっごく楽しそうで、『この笑顔めっちゃかわいいな』って思った瞬間があって。そこから人を撮るのが面白いと思い始めて色々撮るようになった」
・「田舎でOLになりたくない」と思っていた過去
とはいえ、もともとカメラマンを目指していたわけではなかった。
子供の頃から人形の服を手作りするなど手芸が好きだった彼女は、東京にあるアパレル系のデザイン専門学校へ進学した。
卒業後は某有名アパレル会社にニットデザイナーとして就職した。
自分がデザインしたものが商品になる喜びを知った。現実も知った。
そして3年後、遠距離恋愛をしていた高校時代の同級生から「そろそろ結婚を考えよう」と言われ、地元に戻ることにした。迷いはなかったという。
「夢は叶った。でも何かが違ったんだと思う」
デザイナーをやめ、結婚。その1年後に息子が生まれた。
・うまくいかない妊活。「私は欠陥人間」と思い悩む日々。
「自分が一人っ子だから、息子は一人っ子にしたくない」そう思っていたが、なかなか子宝に恵まれず、息子が2歳を迎える頃から妊活をはじめた。
「体外受精は…8回ぐらいやったかな。全部だめだった。着床もしないし卵も育たないから、『私は欠陥品』だと思っていた。自分のあり方のせいで妊娠できないんじゃないかと心理学も勉強したし、あらゆる体質改善もやってみた。でもだめだった」
周りの友達は、2人目3人目を妊娠していく。それに焦る。でもうまくいかない。
「女性である自分は欠陥品だ」そう思いながら、着飾ることもやめ女性である自分を捨てて、全てのエネルギーを妊活に注ぐ。
そんな生活は5年続いた。
・家には居場所も味方もいなかった。
当時、義理の両親との暮らしもうまくいかなかった。
「いいお嫁さんにならなきゃ」「いい母親でいなければ」と完璧を目指し、頑張りすぎて空回りしてしまっていた。
そのため、息子の子育てのことをめぐり、義理の父に言われた言葉に傷つき、家出をしたこともあった。
「3時間のプチ家出(笑) それでも怒られるの。お義父さんたちも旦那さんも怒ってくる。『そんなことでどうして出ていくんだ?』って。家に味方がいないって思ってた」
家に居場所を見つけられなかった彼女は、小さな息子と二人で児童センターに毎日通った。
唯一、そこが息子と二人で過ごせる場所だった。
「児童センターが私のオアシスだった。毎日行ってたから、もう皆勤賞(笑)
そこでできたママ友に、愚痴を聞いてもらったりして。それでなんとかやりすごせてた」
それでもストレスは大きかった。
「家を出たかった。でも旦那さんはいつも「そのうちね」と言うだけ。そのストレスもあったから、余計に妊娠できなかったんだと思う」
そんな生活に光が見え始めたのは、息子が保育園に入った頃だった。
・自分のきれいを否定するのって、なんかさみしい
息子が保育園に入り、近所の居酒屋でランチタイムにパートを始めた。
妊活は続けていたが、少し気持ちが外に向いたという。
「妊娠するためには体質改善が必要だと思って、その頃『よもぎ蒸し』を始めたのね。同じように妊活をしていた仲間に「よもぎ蒸し始めたよ」って言ったら「やって欲しい」って言ってくれて、出張をはじめたの」
よもぎ蒸しのあと、肌がきれいになった友人に「きれいになったね」と言うと「全然そんなことないよ」と言われた。
その時、「自分のきれいを否定するのって、なんかさみしいな」と感じた。
それは自分自身への思いでもあった。
妊活に必死になるあまり、女性であることに蓋をしていた。
身なりを気にしなさすぎて、夫に「もう少しなんとかできないの」と言われたこともあった。
「ずっと妊活で頑張りすぎてたから、よもぎ蒸しをはじめたことで、「この妊活のエネルギーを違うことに向けた方がいいかもしれない」って思い始めたんだよね」
そうして、妊活ではない外の世界に目を向けた時、ふと気づく。
「どうして私は二人産んでないとだめだって思ってるんだろう。妊娠しない私には価値がないのか?妊娠してもしなくても、結婚してもしなくても『わたし』という存在には価値があるはずなのに。結婚してる方が偉い?1人より3人子供がいる人の方が偉い?すごい?そんなことないよね」
最初は自分の自撮りから始めた。一人の「女性」としての自分を残しておきたかった。
そして「全然きれいじゃないよ」と自分を否定する女性を「きれいに撮ってあげたい」と思い、写真を学ぼうと思った。
「まだまだいけるじゃん。私ってきれいじゃん。自分のきれいを否定する人たちにそう思って欲しかった」
自分自身が長い妊活で、女性であることを否定していたからこそ、女性であることをもっと楽しんでほしい。全ての女性たちに、その思いに気づいてほしい。知ってほしい。そういう思いでフォトグラファーという仕事をはじめた。
・突然訪れた夫の死。
撮影の仕事依頼も少しずつ増え、小木曽さん自身も自分の人生を楽しいと思いはじめた時、大きな不幸が彼女を襲う。
夫が亡くなった。
職場での人間関係に我慢を重ね、精神的に追い込まれていたという。
「旦那さんはずっと会社を辞めたいって言ってた。だから私は「やめてもいいよ。やりたいこと、やればいいじゃん」って。何度も何度も言った。でも彼には届かなかった」
突然夫を失ったことで、どん底まで落ち込んだ。
食事もできない。毎日夜中に目が覚める。無意識に涙が出る。
そんな毎日の中で、カメラだけは離さなかった。
「それだけが生きる活力だった。色んなことを学んだり発信したりすること、それが自分が正常でいられる唯一の方法だった。そうすることで息子も『お母さん、元気に頑張ってる』って安心してくれたから。
その頃から言われたことはなんでもやった。全部受けた。とにかく必死だった。
「はたから見たら、旦那さん亡くなったのにアクティブだなって思われていたかもしれない」
女性たちの写真も撮り続けた。
「あなたは綺麗。もっと女性であることを楽しんで」そう伝えるために写真を撮り続けた。ただひたすらに前だけを見て進みつづけた。
写真展は、それから3年後に開催された。
・夫との約束を守るために。
夫が亡くなる少し前のこと。
小木曽さんが、写真の編集に使う「パソコンが欲しい」と言って、2人で買い物へ行ったという。
「一緒にパソコン買いに行ってくれて。そのときに「よく分からないけど とりあえずこれで頑張んなよ」って言ってくれて。42万円のマックブックをぽんと買ってくれたんだよね。
だからやめるのはちょっと違うかなって。せめて3年はがんばろうって」
3年の間にやりたい道筋が見えてきた。
女性が美しくなるために「撮られることを文化に」したい。
そして、夫に届かなかった「やりたいことをやればいい。やりたいことをやっていいんだよ」という思いを伝えたい。
「やりたいことをやらずに次の瞬間死ぬかもしれないのに、なんでやりたいことやらないの?って。やっちゃっていいじゃん!と思う。
半年後死ぬとして、その仕事するの?したくないないなら、それはやりたいことじゃないでしょ?」
夫は最後までやりたいことをやらずに亡くなってしまった。だから「やりたいことをやらない」人を見ると腹が立つという。
「もしかしたら、怒りがエネルギーになってるのかな」そう言って少し笑った。
・撮られることを文化に
結婚していても独身でも、子供が何人いてもいなくても、何歳であっても、誰に遠慮することなく美しくいていい。着飾っていい。女性であることをもっと楽しんでいい。やりたいことをやっていい。
「女性がみんな、自分の心の底にある本当の願望に気づいて、それらを解放して欲しい。そして彼女たちが輝いている姿を、私は眺めていたい。自分がその手助けとなりたい。ひとりでも多くの女性に、本来の自分を取り戻してほしい」
そのためにまずは「撮られることを文化にしたい」と話す。
「ネイルだってマツエクだって、昔は芸能人しかやっていないようなことだった。それが今では一般人でも普通に通っている。撮影もそうなるといいなって思う」
「最近撮ってもらってないなあ。予約しよう」と、3ヶ月先に撮影の予約を入れる。その日に何を着ようかお化粧はどうしようか、ワクワクしながら考える。
「私この間、◯◯さんのスタジオで撮ってもらったよ!」「どうだった?見せて見せて!かわいいー!私も今度そこに行ってみようかなぁ」まるで美容院やネイルサロンのように、撮られることが当たり前の世界。
「そんな時代が来ることを想像すると、いつも涙が出てきちゃうんだよね」そう言って恥ずかしそうにうつむく小木曽さんの目には、きっとその未来が見えているのだろう。
「撮影した女性が、すごく綺麗になったり、何かに挑戦できたり変化できた時の笑顔って、本当に素敵でね。キラキラしているんだよ」
女性たちの輝きが、彼女の足を前に進ませる。
全ての女性の笑顔が輝く未来を信じて、彼女は今日も明日もひたむきに、ただまっすぐ前へ進んでいく。
インタビュー中、彼女の電話が鳴った。
「ごめんなさい、ちょっといい?」
そう断って出た電話の相手は、6年生のひとり息子だった。
短い通話を終えた後、「明日、サッカーの試合なんだよね」と笑う横顔は、優しく強い母の顔だった。
コメント3件
初めまして。
以前小木曽さんに撮影でお世話になったことがありました。
ご健在だろうかとお名前を検索したところ、こちらの記事がヒットしたので拝見させていただきました。
小説のような没入感のある記事で、彼女の魅力がひしひしと伝わる文章でした。
また、感情移入してしまう部分もあり、とてもいい記事だと感じ、思わずコメントしてしまいました。これからもご活躍をお祈りしています。
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