「このままの自分」を認められたら、人生は最強になる 〜 マインドコーチ YUKOさん 〜
5月も後半に差し掛かったある日曜日。
雨が降りそうな曇り空の中、待ち合わせのカフェに時間ギリギリに滑り込むと、既にサンドイッチを前に座る彼女がいた。
「はて。フォークとナイフで一体どう食べたらいいのかな?」とおどけて笑うのは、マインドコーチのYUKO(ゆーこ)さん。
その屈託ない笑顔を見ていると、思わずこちらも笑顔になってしまう。
そんな魅力の持ち主だ。
今年2月からはじめたインスタグラムでは、前向きな言葉に乗せて踊るリール動画が人気で、フォロワー数はあっという間に1万人を超えた。
「『何やってる人か分からないけど、面白そうだから登録しました』ってメッセージもらったりするんだよね(笑)」
現在52歳。
笑顔が素敵な彼女が通ってきた道は、控えめに言っても波瀾万丈だった。
それでも今「おかげさまで幸せです」と笑う彼女の半生に何があったのか。
サンドイッチとコーヒーをいただきながら、ゆっくりと聞かせてもらった。
・とにかくみんなを笑わせたい
1970年 埼玉県生まれ。
3人きょうだいの末っ子として、工場を経営する両親のもとで育った。
幼少期のことを「いっつも、おちゃらけてた」と振り返る。
「いつも先生に怒られてた。ふざけてると『またお前か!』って、頭引っ叩かれたり(笑)」
中学生になっても、その目立ちたがり屋な性格は変わらなかった。
「当時、シブがき隊が流行ってたの。クラスの女の子2人と、ベランダでシブがき隊を踊ってた。新曲が出ると練習してさ(笑) ファン役の子たちが、合いの手を入れてくれて盛り上がってた」
とにかくみんなが笑ってくれたら、それが嬉しかった。
「いつも何か面白いことを探して笑わせてやろうみたいな。今も変わってないね(笑)」
ところが中学2年生の時、その明るい性格を変えてしまう事件が起きた。
・私の何が悪いんだろう
中学2年の時、クラスに仲良し4人組ができた。
同じソフトボール部の仲間でできたグループだった。
ある日突然、一人が仲間はずれにされた。
「一人が『あの子、嫌じゃない?』って言い出して。みんながその子と喋らなくなって、その子が1人ぼっちになって」
その後、風向きが変わった。次の標的は、YUKOさんだった。
「急に3人が、私と一切口聞かなくなって。おはようって言っても無視」
何も心当たりがなかったYUKOさんは、その中の一人に電話をして「なんで?」と聞いた。
でも「知らない。忙しいから」と電話を切られた。
翌日、ショックで学校を休んだ。
母親に「友達が無視するから、学校に行きたくない」と正直に言った。
「そういう時にうちの母親は甘くて。『いいよ、休んじゃえ』って。でもそう言われると、逆に行かなきゃと思うんだよね」
翌日からは登校したが、仲間達からの無視は続いた。
いつも教室で一人ぼっちだった。
ところが、3ヶ月ほど経った頃、その中の一人が「今までごめんね。また仲良くしたい」という手紙をこっそり渡してきた。
なんとなく喋るようになり、元の生活に戻っていった。
「でも、こっちは傷が残ったんだよね。
私の何が悪かったのか分からないから、そこから人に簡単に話しかけられなくなった。本当はこの人、私のこと嫌いなんじゃないか、とか思うようになって」
高校では、ふざけたりおちゃらけることは全くできなかった。
クラスで盛り上がっている10人ぐらいのグループを見て、羨ましく思うこともあった。
でも「もしあのグループで突然仲間はずれにされたら、もう生きていけない」そう思い、静かに3年の時を過ごした。
・色々な仕事を経験した10年間
高校卒業後、デパートに就職した。
まだ「人が怖い」という気持ちは抜けなかった。
「先輩に睨まれたら終わると思って、目立たないように、すっごく大人しくしてた」
ところが、先輩たちは睨むどころか、とても優しかった。
「そしたらもう…YUKOワールドが炸裂したよね(笑)」
デパートで流れる音楽に合わせて踊ったり、職場の人たちと旅行に行けば「一発芸大会やろう!」と場を仕切り、同僚の結婚式に呼ばれたら必ず余興を頼まれていた。
すっかり元のYUKOさんに戻り、楽しい日々を過ごした。
でも、デパートの仕事は思ったほど華やかではなかった。
「とにかく暇。もっと忙しい会社に行きたいと思って」
事務の仕事なら、1日中仕事があるだろうと思い転職した。
「でもじっとしてられなくて(笑)」
次に入社したのは、照明の代理店だった。
テレビ局にも出入りする刺激的で面白い職場だったが、業務が過酷すぎて体を壊してしまった。
「胃潰瘍のひどいやつで、胃から血が噴き出して入院した」
今度は、やったことのない営業職を選んだ。
「オフィスにコーヒーを売る営業。飛び込み営業」
ビルの一番上までエレベーターで上がり、非常階段で降りながら、各階の会社に「こんにちは、コーヒー屋なんですけど」と営業をかける。
「普通に『は?』とか言われる(笑) でも気にしないで『一杯飲んでみてくださいよー!』って」
あれよあれよと売り上げを伸ばし、YUKOさんは「売上全国1位」を獲得した。
「私って、営業向いてるんだな」そう思ったという。
ところが、一人の上司に反発したため窓際に追いやられてしまう。
全ての仕事を取り上げられ、やむなく退職。
そのタイミングで妊娠が発覚し、結婚することになった。
27歳の時だった。
相手は、照明の会社で同僚だった2歳年下の男性だった。
・「お金がない」を繰り返す夫
結婚後は、彼女の実家で一緒に暮らすことになった。
夫は結婚する前から「お金がない」とよく言っていた。
でも本当は貯金しているんでしょ。そう思っていた。
ところが、結婚指輪を買いに行った時に、最初の衝撃が彼女を襲った。
「友達はみんなブランドものの結婚指輪を買ってもらってたから、私も百貨店に買いに行くと思ってたら、ジュエリーの卸問屋みたいなところに連れて行かれて。赤札がぶわーって並ぶお店で『結婚指輪、どれにする?』って。え?なんで?って思ったよね」
でも仕方ないと諦めて、5万円ぐらいの結婚指輪を選んだ。
結婚式も「俺、お金ないから結婚式とかできないよ」と言われた。
そこで、近所のレストランでレストランウェディングをすることにした。
「前日からレストランに入らせてもらって、一人で引き出物とか全部並べて、お花も飾って。ヘアメイクも全部自分で。大変だったけど結構楽しかったね。私って結構企画力あるんだなあと思って(笑)」
その頃には、夫は本当にお金がないのかもしれないと思いはじめていた。
「この人は一体いくら持ってるんだろう」そう思ったが、なんとなく聞くことができないまま、時は過ぎた。
・息子の出産祝いが消えた
長男を出産し、慌ただしいながらも日常を過ごしていた。
そんなある日、引き出しに入れてあった息子の出産祝いがなくなっていることに気づいた。
「泥棒だ!って。私まず、旦那に怒られると思ったんだよね」
すぐに銀行に預けず、引き出しに入れておいたから盗られたに違いない。
そう思ったYUKOさんは、夫に電話して謝った。
そして「今から警察呼ぶから、帰ってきて」と言った。
「そしたら夫が黙ってるの。うわ、怒ってるわと思って」
YUKOさんは「ごめん」と謝り続けた。
そして「警察呼ぶから」と繰り返すと「ちょっと待って」と夫は答えた。
「その押し問答を10分ぐらいやってから、ん?もしかして?って」
こんなこと聞いたら怒るかな…、そう思いながら「まさか、取ってないよね?」と聞くと、夫は「取った」と答えた。
「その時に『実は借金がある』って言われて。いくらあるの?って聞いたら『60万』って。それを返すために取ったっていうから、じゃあ返しに行こうって」
YUKOさんは自分の貯金から60万円かき集めて、夫に渡した。
「これでやっと、気が楽になった」夫はそう言った。
YUKOさんも、ほっと一安心した。
でもこれが、借金生活のはじまりだった。
・繰り返される夫の借金
ある時は、会社にいる夫から「50万、なんとかできないか」と電話がかかってきた。
「集金したお金を借金返済に回しちゃったって。今日、本社の人が来るから、お金を戻しておかないと捕まるって」
またかき集めて50万円を夫に渡した。
またある時は、家に電話がかかってきた。
知らない相手から「旦那さんにお金貸してるんですけど」と言われた。
「いくらですか?って聞いたら、120万だって」
聞けば、1ヶ月前に借りた5万円が、120万円に膨らんでいた。
いわゆる闇金だった。
「そこから毎日100回以上電話がかかってくる。切ったらかかってくる、切ったらかかってくるの繰り返しで、出たら『殺すぞコラ!』とか言われるわけ」
自宅の電話も夫の携帯電話も、1日中鳴りっぱなしだった。
時には「これからお前の家に行くから待ってろ」と脅されることもあった。
耐えきれず、警察や弁護士に相談した。
それでも電話は減らなかった。
「旦那はビビりだから、すぐ『返します!なんとかします!』とか言っちゃうの。返せないのに。
だから横から電話を奪い取って『返すかコラァ!!』って言って電話切って『い、言っちゃった…』って震えてた(笑)」
本当に家に乗り込んできたらどうしよう。
子供たちに何かあったらどうしよう。
不安でたまらない日々はしばらく続いた。
弁護士の再三再四の訴えにより、少しずつ恐喝電話は減り、やがて終わった。
「旦那が弁護士さんにめっちゃくちゃ怒られて。『もう二度とやりません。もし次やっても助けてくれなくて結構です』みたいなのを一筆書かされてた」
これでさすがに懲りたかと思ったが、終わることはなかった。
今度は、YUKOさんがエステサロン開業のために貯めていた預金がなくなった。
結婚してしばらくした頃から、自宅の一室でエステサロンを開き、化粧品の販売をしていた。
「母親から『あなたが稼げるようになっておきなさい』って言われて。子供が小さかったから在宅でできる仕事をしようと思って」
すると、同じように小さい子どもがいる友人たちが、通ってくれるようになった。
「子ども連れてエステって行けないから、みんな来てくれて、化粧品も買ってくれて。お陰でなんだかんだ売り上げが上がってね」
いつかはサロンを開業させたい。
そう思い、毎月コツコツ貯めていたお金だった。
「150万円ぐらいかな。通帳と印鑑を勝手に持ち出して、解約してきちゃったの」
さすがにもう離婚だと思い、夫の親も呼んで、話し合いの席を作った。
ところが、離婚にストップがかかった。
止めたのは、YUKOさんの父親だった。
「うちの父、母親に女手一つで育てられて、ものすごい苦労したわけ。それと同じ思いを孫にさせたくない。『お金は俺が返すから、なかったことにしてやってくれ』って頼まれた」
「じゃあ、これが最後だよ」そう言って、離婚はしないことになった。
・「もう駄目だ」そう思った瞬間
ところが「これが最後」と言ってから、1年も経たないうちに次の事件は起きた。
「子供2人分の学資保険を解約されたの」
毎月落ちるはずの保険料が落ちない。
嫌な予感を抱え郵便局に行くと、解約時の署名を見せられた。
「あ、旦那の字だ。って」
それは、子供が生まれた時から、毎月積み立ててきたものだった。
お金がなかった時期も、これだけはと削らなかった。
その学資保険が、2人分とも解約されていた。
その場で夫に電話して聞いた。
「解約する時、子供の顔は浮かばなかったの?」と。
すると夫は「浮かばなかった」と答えた。
「もう駄目だって思って。
『家の前に荷物全部置いとくから、それ持って出てって』って旦那に言って。スーツとかパンツとか全部、袋にも箱にも入れずそのまま玄関の前に、どんって積んでおいた」
夜になって外を見ると、その山は消えていた。
夫はよく「君はいいね。素直に喜べて。幸せだって思えていいよね」と言っていたという。
「旦那の家って、ものすごく貧乏で。お父さんが早くに亡くなってて『肉はバラ肉しか食べたことない』って言ってたこともあって」
YUKOさんの家に入ってからは、生活は楽になったはずだった。
自分たちのために新しく建てられた二世帯住宅。
義理の両親と妻と子供二人の暮らし。
幸せな時間もあったはずだった。
「彼は幸福に慣れてなかったのかなって。手放しで喜ぶっていうことができなかったんだと思う」
こうして、6年間の結婚生活にピリオドが打たれた。
YUKOさんが、夫の代わりに返済した借金の総額は800万円だった。
・ゼロからのスタート
サロンの開業資金を取られ、貯金も使い果たし、すっからかんになってしまった。
「お金を返してもらいたかったから、離婚届が出せなかったの。でも、慰謝料欲しい、養育費欲しいって言っても『お金がない』って言われたら、どうしようもない。ない人からは取れないんだよね」
当時、長女が5歳、長男が3歳だった。
ある日突然、父親が帰ってこなくなったことを、子供たちはどう思っていたのか。
「下はまだ分かってなかったけど、娘は『なんでパパ帰ってこないの?』て」
夫はお金にだらしなかったが、悪い人ではなかった。
子供にとっては普通に良き「パパ」の面もあった。
「もし『離婚したんだよ』って言ったら子供が傷つくかもしれない。その姿を見たくなくて。それまで十分傷ついたから怖くて」
だから、思わず嘘をついた。
「パパは漁師になったの。マグロを取りにインド洋に行ってるんだよ。だからしばらく帰ってこないの」と。
子供たちとスーパーに行くと、マグロを見た娘が「これ、パパがとったのかなあ」と無邪気に言う。
「いたたたたた…って。私は嘘をついてしまったって」
子供たちに悲しい思いをさせているのがつらかった。
だけど、少しでもいいからお金を取り返したい。
どこか意地になっていた。
夫の母親にも連絡した。
「そしたら『私だってお金ないんです!』ってキレて電話切られて。これはダメだなって」
もう進むしかなかった。
慰謝料も養育費も全て諦めた。
お金は自分で稼げばいい。そう決めた。
・発達障害のある息子を支えて
無事に離婚が成立し、自宅で新しく「耳ツボダイエット」を始めた。
過去に営業一位を取ったこともある手腕を生かし、順調に売上を伸ばした。
仕事面は好調だった。
ところが、家庭内では辛い日々が続いていた。
「息子の発達障害がひどくてね」
息子はとにかく寝ない子供だった。
床に置くと泣いてしまうため、ずっとおんぶをしていた。
「エステやる時もおんぶしながら。じゃないと泣いちゃう。しかも泣くのもしつこくて、いつまででも泣いてる。諦めない。もうすごい根性と体力(笑)」
保育園では、先生たちが悪戦苦闘していた。
「伝統のある保育園だったんだけど、過去一番寝ない子だって言われた(笑)」
小学校に入っても、そのありあまるエネルギーは抑えられなかった。
まず、ずっと座っているのが無理だった。
「あとね『歌いたい』って思ったら、算数の時間でも歌い出しちゃう。先生に怒られたら一度はやめるんだけど、また歌いたいと思ったら歌っちゃう」
また、自分の思い通りにならないと暴れたりもした。
友達を叩いたり、突き飛ばしたりしてしまうこともあったという。
「だからうち、菓子折りを買いだめしてたの。
息子が学校から帰ってきたら、まず連絡帳を見る。『~~くんと喧嘩して、腕をぶつけました』って書いてあったら速攻で電話して『すみません、今から伺っていいですか?』って聞いて、息子を連れて謝りに行く。
息子は嫌だって言うけど、引っ張って連れて行って『すみませんでした!』って頭下げて。もうそれが毎日」
周りからは「大丈夫なの?」と言われた。
その眼は、心配ではなく疑念の眼だった。
中でも、小学校1年生の担任に言われた言葉が今も忘れられない。
「どうしようもない大人になりますよ。犯罪者にでもなるんじゃないですか。このままだったら」
すごくショックだった。
でも、その言葉を毎日のように言われ続けたら「本当に犯罪者になってしまうかもしれない」と思うようになった。
今はまだ小学生だから抑えられる。
でも、大きくなって暴れたら…本当に人を殺してしまったら…。
そんな不安から、夜になると毎日「息子を殺して自分も死のうか」と考えた。
「息子の寝顔を見て、一気に殺すのはどうしたらいいんだろう。苦しむ顔を見るのは嫌だなとか考えてた。私もおかしくなったんだよね」
でも誰にも相談できなかった。
友達にも、親にも心配かけてはいけないと思って言えなかった。
でも本当は、誰かに一言「死にたい」と言いたかった。
「いのちの電話」にも電話した。
「でもね、全然つながらないの。『しばらくお待ちください』って言われる」
言えないなら書いてみようと思い、ノートに『死にたい』と書いてみたりした
でも、気持ちは晴れなかった。
ただ「死にたい」と言う気持ちが強くなっていった。
・「死にたい」その言葉が言えた日
そんな時、友達から「ラーメン屋さんで働けない?」と連絡がきた。
「ラーメン屋さんって忙しそうだし、大きい声を出すでしょ。動き回ってたら悩まなくていいかもと思って『行く!』って」
そのラーメン店は、オープンしてまだ間もなかった。
店主の男性が、妻と子供二人の手を借りて営業していたらしいのだが、店主が厳しすぎて、妻と子供たちが愛想を尽かして出て行ってしまったのだという。
「パートが奥さんの友達だったから、みんな辞めちゃって。店長が一人になっちゃったんだって」
YUKOさんはそのお店で、パートとして働き始めた。
ある日、店主と二人でまかないのラーメンを食べていた時のこと。
店主が、ぽつぽつと自分の話をした。
「せっかく夢だったお店を出したのに、家族もみんな出て行っちゃったって、相当へこんでて。
全然食べないから『食べないんですか?』って聞いたら、食べても全部吐いちゃうからって。今は、私がいるから作ったけど、喉を通らないんだって」
そのとき、店主が「もう、死にたいんだよね」と言った。
「首吊って死にたくて、お店の中で場所を探してたんだけどさ」そう言った。
YUKOさんの目から涙がぼろぼろと溢れた。
泣きながら「私も、死にたい。死にたいんです!」と言った。
自分でも驚くほど大きな声だった。
その瞬間、死にたい気持ちは消えた。
「私、生きたいんだ」そう思えた。
だから、彼に「生きようよ」と言った。
「そうだね」と彼は答えた。
そのラーメン屋の店主が、YUKOさんの今の夫だ。
4年前、北海道で結婚式を挙げた。
「旦那は、私を『命の恩人』の位置に置いてくれてて、私のお願いはなんでも聞くよって言ってくれるの(笑)」
そう言って、ふふふと笑った。
・少しずつ少しずつ。
息子の発達障害と向き合う日々は続いていた。
イライラすると手がつけられず、家の中で暴れることも多かった。
でも、小学校4年生の担任との出会いが、変化のきっかけとなった。
「すっごく良い先生に巡り合ったの。
発達障害について色々勉強してくれたり、息子が通っていた病院にわざわざ行って、先生に『私に何ができますか』って聞いてくれたりして」
当時、病院から行動を落ち着かせるための薬が出されていた。
薬を飲むと信じられないほど静かになるが、それは本来の息子じゃない気がして、YUKOさんは気持ちが悪かったという。
「息子も『薬を飲んでると変な感じがする』って。でも、薬を飲んで静かにしてると、みんなが『よかったね』って言うから、飲んだ方がいいのかなって言ってて」
その話をすると、担任の教師は「薬をやめたいなら、私も協力します」そう言ってくれた。
学校で落ち着かない時は、その教師が別室に連れて行って、落ち着くまで見守ってくれたりと、色々と気を配ってくれた。
そのおかげもあってか、少しずつ変わっていったという。
「本当にすこーしずつ。薄皮を剥がすように少しずつ少しずつ、変わってきた感じかな」
もうひとつ、息子が変わった要因は、ある友達との出会いだった。
「すごくいい友達に出会ったんだって。誰に対しても同じ対応で、すごく優しくて、みんなに好かれてて、尊敬できる子。自分もその子みたいになりたいから、真似してみようと思ったんだって」
どうしたら友達とうまく話ができるのか。
最初はうまくいかず、喧嘩になってしまうこともあったという。
でも少しずつ、人間関係を築けるようになった。
「他にも、鴨頭(かもがしら)さんのYoutubeを高校3年間の登校時間ずっと聴いてたらしい。それで、どういう風に人に接したらいいかが、だんだん分かってきたって」
そして高校の文化祭の時、YUKOさんが学校へ行くと、教師に「どうやったら、こんなにいい子が育つんですか?」と聞かれた。
「いやいや、めちゃくちゃ大変だったんですけどねって。びっくりしたよね」そう言っておかしそうに笑う。
現在22歳になった息子さんは、夫のラーメン屋を手伝っている。
・結局大切なのは「マインド」だ
現在「マインドコーチ」として、心のことを伝える活動しているYUKOさんだが、一体どうして「マインドコーチ」になったのか。
「自宅で耳ツボダイエットをやってて、そこから『ダイエットコーチ』になったのね」
たくさんの痩せて美しくなりたい女性たちと接して思ったことは「結局マインドが大切だ」ということだった。
「たとえば、500gリバウンドしただけで『私は最悪だ』って落ち込んじゃったり、美しくない自分を『私なんて価値がない』って思ったり。
今まで頑張って生きてきた自分を、見た目ぐらいで否定しないでよ!ってすごく思って」
どんなに外見を磨いても、自己肯定感が低ければ何も変わらない。
そう思ったYUKOさんは、本格的に心について勉強した。
心理学、脳科学、量子力学などを学んで分かったことは「このままの自分が一番最強だと思えたら、人生は無敵になる」ということだった。
人は誰でも「承認欲求」を持っている。
でも、人に褒められることでその欲を満たそうとすると、ずっと人に求め続けなければいけない。
「だから、自分で自分を認めてあげようって」
まずは、自分自身で実験してみた。
「今日も頑張った!嫌なことあったけど、それでも頑張ってる!偉い偉い!って、毎日続けてみたら、どんどん人の目が気にならなくなっていったの」
そして、自分自身を「このままでいいんだ」と思うようになったら、周りの人から「そのままでいいんだよ」と言われるようになったのだという。
「波動ってそういうもので、自分が自分を責めてると、人からも責められてる気がするし、実際に責められることが起きる。職場でいじめられる人の話を聞くと『自分はダメだ』って思ってる人が多いんだよね」
誰にだって、欠点やコンプレックスがある。
過去に悲しい思い出や、傷もある。
「みんな、辛かったこととか嫌なことがいっぱいあって、それでも頑張って生きてきた。そのことを知ってるの自分だけじゃん。その自分を責めないであげてほしい。もっともっと認めてあげてほしい。
親に全然褒められなかった自分だっていいし、太ってたっていい。何でもいいから『こんな自分だけど、いいよね』って思えた人が、一番強いし一番幸せ。それができたらなんでも成功するし、何をやってもうまくいくんだよ」
YUKOさんが開催している講座では「本当の自分」を見つけるための方法を、脳科学や量子力学の観点から伝えている。
「どんなに『あなたはそのままでいいんだよ』って言っても『いや、私なんてダメダメです』ってなっちゃうでしょ。
どうしてそんなに自己肯定感が低くなっちゃったのかを紐解いていって、あなたのせいじゃないよ、こういう脳の仕組みのせいなんだよってお伝えしてる」
講座に来るのは「YUKOさんみたいに楽しく生きたい」という人が多いのだという。
「できるできる!って思う。みんな楽しもうよ。もうそのまんまでいいんだよ!」と、にっこり笑って言った。
・誰もが持つ「魂職」を見つけて、みんなに楽しく生きてほしい
今では、インスタグラムにYoutube、公式LINEアカウントなど、SNSを使いこなしているYUKOさんだが、はじめてパソコンを買ったのは47歳の時だった。
「最初なんて、指一本でこうやってキーボード打ってたんだから(笑)」
その時の様子を再現する姿に、思わず笑ってしまう。
最近はインスタのリール動画が人気で、200万回再生を超えるものもある。
「リール動画は最初、自分が楽しければいいやと思ってはじめたんだよね。でもこの『楽しい』っていうのが『魂職(こんしょく)』につながるの」
「魂職」とは文字通り「魂の職」で、全員が持って生まれてきているものなのだという。
「みんな最低1個持ってるって言われてて、1個じゃない人もいる。オリジナリティがありすぎて、絶対に人とは被らないんだって」
とにかくやっているのが楽しい。
それが「魂職」なのだという。
「しょうがなくやる仕事じゃなくて、気づくとまたやってしまったみたいな。また踊ってしまった…みたいな(笑)」
インスタグラムのコメント欄には「元気もらいました」「最高です!」「疲れが吹っ飛びました」などの前向きな言葉が並ぶ。
「私が言いたいのって、みんなに可能性があるんだよってこと。自分の『魂職』を見つけたら、誰だって自分が満足するぐらい稼げて、しかも楽しくてできるんだよって」
自分がふざけて踊る姿を見せることで「これでいいんだ」「こんなにふざけていいんだ」と思ってくれたらいいなと思う。
「私の下手なダンスを見て、みんなが笑って幸せになってくれたら。それが一番嬉しいよね」
子供の頃から持っている「とにかくみんなを笑わせたい」という思いは、今も変わらず彼女の根底にある。
・さいごに
YUKOさんのインスタグラムに、こんな言葉が綴られたリール動画がある。
パソコンは指一本から打ち始めたし、出来なすぎて夜中にひとり泣き。
朝から夜中まで働いて元夫の借金返した。
何度もくじけそうになったけど、自分に負けたくなかった。
苦労をかけた子供たちも、今の夫も友達も、両親もお客様も、そして自分も。
みんなを幸せにして笑顔にしたかった。
「やればできるよ!」「諦めなければ願いは叶う!」
子供たちに見せたかった。
あなたも私も同じ、何も変わらないんだよ。
いくつだって、自分が諦めない限り、願望も夢も叶うよ。
あなたの夢はどんな夢?
面白ダンスとともに綴られた言葉たちに、なぜか涙が出そうになる。
実際に「泣けました」というメッセージが多く寄せられたという。
「多分ね。頑張ってる自分が『もっと認めて』って言ってるんじゃないかなって思う」
最近「実はダンス教室に通い始めたの」と笑う。
それはリール動画で踊るためだという。
これからも、全力でふざけて、何より自分が楽しんで、笑顔の人を増やして行くのだろう。
外に出ると、厚い雲の隙間から青空がのぞいていた。
「私、究極の晴れ女だから」そう言って笑う彼女の歩く先に、明るい光が差した。
マインドコーチ YUKOさん
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