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2023-02-10

身体だけじゃなく、心とも向き合う施術を。 〜さとまち整体院.院長 坂口承優 さん〜

 ある日の午後、ランチを楽しむ人で賑わっているホテルのレストラン。

 繊細に盛り付けられた料理を前に「こういうの、あんまり普段食べないから」と言いながら、スマホで写真を撮っているのは、整体師の坂口承優(さかぐち じゅんや)さん。

 写真はインスタにでも載せるのか聞くと「インスタやってなくて。でも撮っちゃう(笑)」そう言って、がははと笑う。

 とにかく明るくて愉快豪快。
 話していると、こちらも思わず笑ってしまう。そんな人だ。

 

 坂口さんは現在、愛知県安城市にある「さとまち整体院」の院長を務めている。
 新規の患者は、1ヶ月以上待ちという人気の整体院だ。

 しかし、開院して数年はまったく患者が来ず、精神的にも辛い時期を過ごしたという。

「10円ハゲいっぱい作っちゃって(笑)、大変でしたね」そう豪快に笑う坂口さんが、一体どんな道を歩んできたのか話を聞いた。

 

・色々な部活を経験した学生時代

 1976年 愛知県蒲郡市生まれ。

 幼い頃は「とにかく、めちゃくちゃかわいかったんですよ」と坂口さんは笑う。

「想像つかないと思うんですけどね(笑) 幼稚園の先生にも『かわいいね』って言われてて。それが、20歳超えた頃からごつくなって。こんなゴリラになるとはねえ(笑)」

大好きな祖母と。

 

 小学生の頃はバスケットボール部に所属していた。
 市内で1位2位を争う強豪校だったという。

「うち、有名な先生がいたんだけど、めちゃめちゃ厳しくて。でも楽しかったですよ」

 成績も優秀で、中学生の頃は学年で10位以下になったことがなかった。
 勉強するのが好きで、本を読むのも好きだった。

 ところが、高校に進学してから急に勉強が楽しくなくなったという。
 理由を聞くと「俺も分からない」という。

「勉強が難しくなったとかじゃないんだよね。ただ全く楽しくなくなった。勉強自体が」

 でも、高校では仲間に恵まれた。
 所属していた弓道部の仲間たちとは、今も親交があるという。

 

 振り返ると、小学校ではバスケ部、中学ではテニス部、高校では弓道部と、全て違う部活に所属していた。

「多分、いろいろやりたいんですよね。1個のことをずっとよりも、広く浅くっていうのが多分好きなんだと思う。そこは今も変わらないですね」

 高校卒業後は、新潟の大学に進学することにした。
 どこでもいいから、地元愛知を離れたいと思っていたという。

「親と仲は良かったですよ。今でもLINEするぐらい仲が良い。
 でも、一度親の管理から抜けてみたい、離れてみたい、そう思って」

 親元を離れ、新潟での生活がはじまった。

 

・大学時代で海外の面白さを知った

 大学生活の4年間を「めっちゃ楽しかった」そう笑う。

「高校で全然勉強しなかったので、大学はいわゆる『Fラン』とかいわれるような大学しか受からなくて。もう馬鹿ばっか(笑)。俺が言うのもなんだけど(笑) でも楽しかったからいいんですけどね」

 その4年の間に、坂口さんの人生を変える出来事があった。
 それが「海外との出会い」だった。

 きっかけは、弟のアメリカ留学だった。

「俺ね、それまで海外が大っ嫌いだったんです。日本みたいに環境のいいところから、なんで外に出なきゃいけないんだってずっと思ってたんですよ。でも弟が留学して、母親が『1回行ってみたらいいじゃない』って、旅費を出してやるって言ってくれて」

飛行機

 一人で弟が暮らすアメリカへ行った。
 その時、大嫌いだった海外を「面白い」と感じた。

「弟がテネシー州の『ナッシュビル』っていうところにいて。そこから長距離バスで十何時間かけてニューヨークとか行ったり。すごかったっすよ。今でも覚えてる」

 

 その経験が、坂口さんの海外熱に火をつけた。
 次はイギリスへ一人旅に出た。

 理由は「大英博物館で、ロゼッタストーンを見たいから」だったという。

「子供の頃からずっと考古学が好きだったんですよ。『世界ふしぎ発見』って番組あるじゃないですか。あれが昔から大好きで(笑)」

 そのまま大学4年生になったが、就職活動はしなかった。
 なんとなくスーツを着る仕事はしたくない。そう思った。

 そんなとき「海外ボランティア」の案件を見かけて申し込んだ。

「それが決まったから、もう就職はいいやって」

 大学を卒業した年の夏、ボランティアのためにギリシャへ飛んだ。
 ギリシャを選んだのも「考古学が好きだったから」だった。

「ギリシャでは、YMCAのキャンプ場で、子供たちのキャンプの手伝いとか整備をしてました。生コンで階段作ったりとか、子供と一緒に飯食ったりとか。ほかにもイベントを一緒にやったり」

 ボランティアが終わったあとも、日本に帰らず、しばらくはギリシャの各地を見て回った。
 一度見てみたかった「メテオラ修道院」にも足を運んだ。

「岩の上にあるんですけど、それがすごかったんですよ。本当に面白かった。あれはいまだに本当に行ってよかったなって思ってるところの一つ」

 

 ギリシャから帰国し、就職活動をはじめた。

「別に、ニートになりたくなかったからさ(笑)」そう笑って続けた。

「でもとにかく、スーツは着たくない。そこは変わらなかった。
『ボランティアをした』っていう、なんていうのかな。言い訳が立つから、よし福祉だ。一回やってみるかって」

 

・福祉の仕事で出会った「整体師」という存在

 坂口さんが入社したのは、障害者の支援施設だった。
 数ある福祉施設の中から、その施設を選んだのは「色々できそうだったから」だったという。

「みんな『福祉』っていうと、高齢者のイメージを持つけど、僕がいたのは知的障害とか身体障害とかがある人がいるところ。障害のある人たちが作業をする作業所とか、畑があるような施設で。色々なことができそうだなと思ったんですよね」

 その施設で、いわゆる「現場職」として働いた。

 作業所で部品を作ったり、花を栽培したりする障害者の人たちの作業を、見守ったり手伝ったりした。

介護士と患者の手元

 やりがいのある仕事ではあった。
 でも長年働くうちに、いろいろな思いが出てきた。

「こうしてあげたい、ああしてあげたい。それが自由にできなくて。あとは最終的にやっぱりね、給料が安すぎる」

 なんとなく壁にぶつかっていた時、あることがきっかけで現在の「整体師」への道が開けた。

 それは、畑で「ぎっくり腰」になったことだった。

「ね、考えてみて。冬に近い、結構寒い時期。畑に一人。誰もいない。そこでぎっくり腰。これはやばい。1ミリでも動いたら俺は死ぬって思うぐらい痛い(笑)」

 痛みに苦しむ坂口さんに「ここいいよ」と、同僚が一件の接骨院を教えてくれた。

 行ってみて衝撃を受けた。

「とにかく面白かったんですよ。腰も楽になったし『何やってんすか、これ?』みたいな」

 それが、坂口さんと「整体師」の仕事との出会いだった。

 

・福祉の世界から整体の世界へ

 坂口さんは、その整体師に直接「技術を教えてもらえないか」尋ねたという。

「断られましたね。弟子は取らないって言われて。じゃあ同じようなことをやるにはどうするかって考えた時に、まず資格を取るしかないって」

 6年働いた福祉施設を退職し、整体師になるため専門学校に入学した。

 同じように社会人から入学した人や、高校を出たばかりの自身より10歳ほど年下の同級生とともに学んだ。

「新鮮だったよね。1クラス40人ぐらいだったんだけど、勉強できない生徒がいたら、勉強できる生徒が見るっていうシステムになってて。テスト前になると、分からない子を教えてあげて。いつも近所のジョイフルにいました(笑)」

「年を取ってる分、要領がいいからさ」と坂口さんは笑うが、きっと面倒見の良い性格なのだろう。

 

 3年後、無事に国家試験である「柔道整復師」の資格を取得し、卒業後は整形外科のリハビリ担当医として就職した。

「普通の病院って『理学療法士』がリハビリするんですけど、その病院は『柔道整復師』を雇うっていう、ちょっと特殊な病院だったんですよ」

 でも、ずっとそこで働くつもりはなかった。
 最初から独立を視野に入れていたという。

「柔道整復師の先生は、みんな独立するっていうのがある。ただ『5年はいてください』っていう病院との約束があったんですよね。約束というか、暗黙の了解で」

 そして5年が経った頃、独立したいと病院に伝えた。
 そこから1年ほど働いた後、退職することが決まった。

 いよいよ、自分の院を持つという夢に向かってスタートを切った。

 

 だが、そこからが大変だったという。

「自分の院を開業する場所を決めてから辞められるわけじゃない。辞めてから、色々探さないといけないんですよ」

 テナントの探し方も、どこで開業すればいいのかも、何も分からなかった。

「今、テナントって全然空いてないんですよ。それをあちこち見て回って。でも予算もあるじゃないですか。汚かったら改装もしなきゃいけない。じゃあお金はどうやって借りるのかとか」

 整形外科で働いていた坂口さんは、ずっと施術の技術や医療だけを学んできた。
 治療院を開業するためのノウハウやコツなどの知識は、全く持っていなかった。

「もし接骨院に勤めてて、院長がマーケティングとか詳しければ、そういうのを見て過ごせるんですが、僕は整形外科にいたから医療のみ。いわゆる経営というか運営というか、そこが抜けていたんですよね」

 それでも、今まで独立して行った先輩たちはみんな上手くいっていた。
 だから「自分も大丈夫だろう」そう思っていた。

「甘いんすよね」そう苦く言い放つ。

「先に独立した先輩たちは、地元で開業していたり、親戚とかの人間関係があったり。そういう環境で開業してた。それが全くないところで、ゼロからチラシ1枚でうまくいくわけがないっていうのに気づいてなかったんですよね」

 どうにか、1件のテナント物件と出会った。
 縁もゆかりもない安城市という土地で、開業することを決めた。

 それは、坂口さんが38歳の時だった。

 

・独立の夢を実現した先にあったのは

 無事にテナントの改装も終わり「さとまち整体院」開業の日を迎えた。
 ところが、患者が全然来なかった。

「最初の1年ぐらいは本当に大変。1日1人とか、ゼロみたいな日もあったりして」

 まだ資金が残っているから何とかなる。
 だけど、このままではいけない。

 日に日に焦りが募って行った。

「そこで『まず技術だ』と思ってしまったんですよね」

 技術についてのDVDを取り寄せたり、勉強会に参加したりした。

パソコンとノートとメガネ

「もっと良い技術を身につけたら、患者さんも来てくれるはず」そう思った。

 でも技術を身につけても、思ったように患者は来ない。
 そこから、経営塾に入ったり、ビジネスコンサルを受けるようになった。

「そういうのって、コンプレックスビジネスなんですよね」

「売上が上がらない」というコンプレックスをえぐられ、どんどんと手を広げてしまった。

「もう本当に、めっちゃ行きましたよ。最初のやつが100万だったかな。1年ぐらいのコースでね」

 でもそれだけでは終わらなかった。
 当時を振り返り「軸がなかった」と坂口さんは話す。
 学んでも活かしきれず、また違うものに手を出してしまう、そんなことが続いた。

「最終的に、ちょっとよくないコンサルにはまってしまって」

 気づけば数百万という単位をつぎ込んでいた。

 それでも、売上は上がらない。
 資金がなければ、やめることもできない。

 どんどん追い込まれていった。

「地獄でしたよね。そこでちょっと病んじゃったんですよ。10円ハゲが、めっちゃできてましたもん(笑)」

 人が来ないこともつらかったが、それよりも「自分が選んだ道への後悔」がつらかったという。

「だまされたじゃないんすけど、そんなところに行って自分の首を締めてしまったっていう、自分の選択肢への後悔がつらい。『なんで俺、あんなものを選んでしまったんだ』って思うことの方がつらいんですよ」

 

 このままではいけない。
 なんとかしなきゃいけない。

 そう思った坂口さんは、再度奮起し、違う人の門を叩いた。
 それは、昔から気になっていた経営塾だった。

 そこで教えられたことを、地道に実践していった。

「もう必死でやるしかないじゃないですか」

 すると、少しずつ売り上げが上がるようになり、やがて掲げていた売上目標を達成することができた。

「多分、タイミングもあったと思う。最初からそこに行っても、うまくいかなかったかもしれないし」

 そして、売り上げも上がるようになったが、人に恵まれるようになった。
「圧倒的に人。ご縁が大事」と坂口さんは言う。

 

 あの選択をしなければ、今もう少し楽だったんじゃないか。正直そう思う。
 でも、あの経験があったからこそ、得たものもある。

「めちゃくちゃしんどかったですね。体験してみるといいですよ。タフにはなりますよ」そう言って笑った。

 

・ひとりひとりに向き合って

 現在、整体師として患者さんと向き合い続ける日々を送っている。
 色々な症状を抱えた人が来るが、大切なのは症状だけを見ることではないという。

「最終的には全身だよって、いつも伝えるんですけどね」

 たとえば「腰が痛い」と言われたら、腰だけを治療することもできる。

 でも坂口さんは「なぜその部分に痛みが出ているのか」を説明し、どういう治療をしていくかを話すのだという。

「根本的には骨格がメインで、いかに骨格を整えていくか。骨格が整えば内臓も筋肉も整ってくるのが分かってきてるから」

 そして、身体としての症状を治しつつ、他にも要因がないか話をして探す。
 というのも、精神的な要因が症状として現れる人もいるのだという。

「ご両親との関係があまり良くないことが大元の要因になって、痛みが出てるっていう人とかね。意外といるんですよ」

 痛みや歪みなどの症状は、施術で取れる。
 でも、その奥にある大元の要因は、施術だけでは取れない。

「それを、どうやって直す方向へ持っていくかが僕らの仕事。まあ、そんなことまでやってる人は珍しいのかもしれないですけどね」

 だから今も、施術についてはもちろん、患者の心のケアについても学びを続けている。

「技術も心のことも、ずっと勉強し続けてますね。年間で何百万とか出してますよ。やらなくてもいいんですけどね。俺やっちゃう人だから(笑)だから、全然金が貯まんないんですよ。すぐ使っちゃう(笑)」

 ちょうど、今週末にも心理学のセッションが入っていると話す。

「もうね、ワーカホリックですわ」そう言って豪快に笑った。

 

・探究心は尽きない。学びは続ける。

「さとまち整体院」を開院して9年が過ぎた。

 施術の喜びや楽しさはどこにあるのか尋ねると、少し考えてから答えた。

「根本的には、人を触るというか、見るというか話すというか。そういうのが楽しいし、好きだと思う」

 昔から雑学が好きだった。
 浅く広く、いろんな雑学に興味がある。
 だからどんな人とでも話ができるし、それが楽しいと言う。

受付横に置かれたフィギュアの数々。 患者さんからのプレゼントも多いという。

 

「でも『喜び』って言われると難しいな。どこなんだろう」

しばらく考えてから続けた。

「患者さんに『良くなった』って言われたら、それはもちろんめっちゃ嬉しい。あと、自分が学んできたものが活きてきた時とかも嬉しい。でも、それが『喜び』かって言われると、ちょっと違うかも。良くするのは普通だから。それが当たり前だから」

 自分の施術で、症状が良くなったと喜んでもらえることは嬉しい。
 だけど「患者さんが喜ぶ姿」を見たくて、やっているのではないという。

「だって、それって自己満足じゃないかな。相手が良かったって思ってくれたら、それでオッケー。そんな感じ」

 

 国家資格を取ってから13年。
 やめようと思ったことは「一度もない」と言い切る。

「今のところだけどね。体が動かなくなってきたら、やめるしかないんじゃないですか」

 

 一時はしんどい思いもした。
 それでも整体師を続ける理由を尋ねると「まあ予約が入ってるからねえ」そう笑って答えたあと、ちょっと考えて続けた。

「終わらないからっすよね。多分。どんどん次の課題が出るし、勉強すればするほど、次のテーマは出てくる。まだまだ分からないこともいっぱいありますよ」

 冗談っぽく話しているその根底にある、生真面目な性格がのぞく。

 改めて「今、仕事は楽しいですか」そう尋ねると、窓の外をちょっと見て考え込んだ。

「楽しい時もあれば楽しくない時もある。仕事だからね。だから勉強を続けてるっていうのもある。楽しさについては、ちょっと非常に、未だに難しいかも知れないなあ」

 本当にこの人は、真面目な人だ。

 

・さいごに

 後日、坂口さんが院長を務める「さとまち整体院.」を訪ねた。

普段は奥様が受付を担当されているそう。私が伺った日は外出中で、坂口院長が迎えてくれた。

 

「肩が痛いんです」と話すと、全身の状況を確認したあと、雑談を繰り広げながら施術が行われた。

 軽く背中を触られただけなのに、回らなかった私の肩が回るようになった。
 不思議だ。一体何がどうなったのか。

 思わず「ゴッドハンドじゃないですか」と言うと「ちゃうちゃう!」と大笑いされた。

「自分が受けて『いいな』と思ったら、その施術を学んで取り入れてるだけ。まあ終わらないよね」

 その探究心が尽きることは、この先もなさそうだ。

 

 整体院を出てしばらくすると、肩だけではなく体全部が軽くなっていることに気付いた。

 やはり坂口さんは「ゴッドハンド」だったのかもしれない。
 肩が痛くなる前に、また行こう。

 そう心に決めながら、家路についた。

 

 

さとまち整体院. ホームページ  https://www.satomachi-anjo.com/

 

 

 


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