ひとつのピースとして世界を支えたい〜藤野実里さん〜
前日からの天気予報通り、小雨が降る午後の東京駅。
待ち合わせていたカフェに着くと、「こんにちは!」と席から立ち上がり、笑顔で挨拶をしてくれたのは、藤野 実里(ふじの みさと)さん。
平日はフルタイムの会社員として働きながら、副業で「事務アシスタント」として活動している。
「事務アシスタント」とは、主に個人起業主の事務局や裏方として、見えない場所を支える仕事だ。
「支えているお客さまの思いが形になって、誰かに届いた時がすごく嬉しいです」と笑顔で話す。
昔から、表に立つよりも裏方の仕事に喜びを感じる方だった。
「たとえ目立たない仕事でも、全体がスムーズに動くために必要なら、私は1つのピースになる」そう思っていた。
ただ自分の仕事を全うしたい。
そう思うだけなのに、なかなかうまくいかなかった。
「10代20代は、本当に人間関係に苦労しました」そう話す彼女に、どうやってその局面を乗り越えたのか、そして半年前に結婚したその思いがけない馴れ初めについてなど、色々と聞かせてもらった。
・なんでも一人でできる私じゃなきゃいけない。
1990年、埼玉県生まれ。
姉と妹、弟がいる4人姉弟の次女だ。
姉弟での立場を「一匹狼みたいな感じ」と彼女は言う。
「母に言われたんです。一番上は初めての子だから何かと手をかけるんだけど、2番目は手をかけなくていいところが分かってくる。それで3番目が生まれたらそっちに手がかかる。だからあなたは気付いたらなんでも一人でやれるようになってた、って」
なんでも一人で決められるし、一人でできる。
「全部自分でやらなきゃって思ってたし、人に悩みも言えなかったですね」
そのプレッシャーは、ずっと彼女を追い込むことになる。
どんな子供だったか尋ねると「内気の目立ちたがり屋でした」と不思議な答えが返ってきた。
「基本的に目立ちたくないんですけど、何か役割をやってみたい!っていう感じでした」
学級委員のようなリーダーではなく、文化祭などイベントごとの委員など、やってみたい気持ちが強い好奇心旺盛な子供だった。
「目立ちたがりっていうか、やりたがりなんですよね。内気なんですけど(笑)」
でも、表に立つのは好きではなかった。
文化祭も、裏方として支えるポジションを選んだ。
どうして裏方が好きなのか理由を尋ねた。
「目立たないけど、それがないと成立しないところじゃないかな。『誰にでもできる仕事でしょ?』って、みんながやりたがらないことってあるじゃないですか。でも、誰かがやらないと進まない。
私は、そういうのを淡々とこなしていくのが苦じゃないし、それで全体が成功するなら、私はそっちの方がいいんです」
この「自分のやりがいよりも、全体がうまくいく方が大切」という思いは、今も彼女の根底を支えている。
「逆に言うと、私は先頭に立って人を引っ張ることができないから」
見えない場所で土台として支える喜びは、中高時代の部活選びにもあらわれた。
・土台として「私がいるから成り立つ」喜び。
中高一貫校に入学した藤野さんは、マーチング部に入部した。
担当楽器はパーカッション。
軽い物でも5kg、大きな物だと10kgあるという太鼓を抱えて、行進や隊列を作る。
夏休みは一日中練習に励んだ。
「結構過酷なんですよ。体の小さい子は、背骨が曲がっちゃって続けられなくなる子もいるんです」
ただ、家族や友達からは「なんで打楽器を?」と言われたという。
トランペットなどの楽器や、旗を振る人がどうしても目立つ。その中で、打楽器は地味なのに。そう言われた。
そこにも、藤野さんの「土台であることの喜び」があった。
「もちろん、単純にかっこいいなって思ったのもあるんですけど、マーチングは演技を作るのに、鼓笛(太鼓など)がいて、ブラス(楽器)がいて、旗を振る人たちがいる。その中で、鼓笛が土台になってるから全体が成り立つんですよね」
それぞれ役割のある人が集まって、何かひとつのものを作る。その中で土台として支える。それが好きだった。
そして高校3年生の時、パーカッションのリーダーに任命された。
でも、卒業公演まで待たずに退部することになってしまった。
理由は、同級生との人間関係だった。
「同級生とうまくコミュニケーションが取れなくて。人を引っ張れる立場じゃないのにリーダーになっちゃったっていうのもあって。本っ当にすっごく悩みました。でも辛くて続けられなかった」
顧問の先生たちには「勉強をするから」と嘘をつき、退部した。
・人のぬくもりが感じられる仕事をしたくて
高校卒業後、大学に進学。
大学では街づくりを学んだ。
同級生が住宅メーカーや交通機関に就職をする中で、藤野さんは「物流業界」に興味を持った。
「私、最後は『人』だと思っていて。どんなにこの先の未来、世の中が便利になったとしても、最終的に人の力がないとできないのが物流だな、と思ったんです。
海外や地方から物を持ってくるにしても、全部ロボットではできないと思うんです。絶対に人の手が必要になってくる。日が当たらないかもしれないけど、なくなったら困るじゃないですか。そういう仕事っていいなあって思ってた部分があったかもしれないですね」
決して華々しい業界ではない。でも、絶対になくせない必要なもの。
人がいないとできない、人のぬくもりがある仕事。
「多分、そういうのが好きなんですよね」そう言って、にこにこと笑う。
ところが、就職先はシステム関係の会社を選ぶことになった。
「IT系に行ったら、いろんな業界の人と仕事ができる。そういうのも面白いかな」そう思ったという。
大学を卒業し、システム会社で働き始めた。
・ただ仕事がしたいだけなのに。
配属されたのはエンジニアの部署だった。
先輩にプログラミングの書き方を教わりながら、少しずつ覚えていった。
それなりに充実した会社生活だったが、5年目にして退職することになった。
原因は上司のパワハラ・セクハラだった。
「入社からずっと同じ上司だったんですけど、だんだんひどくなってしまったので、耐えられなくて辞めました」
退職後、とにかく早く転職先を決めようと焦った。
「実家には帰りたくなかったから、仕事をしなきゃと思って」
母親が一人暮らしを許可してくれるまでに、3年かかった。
やっとはじめた一人暮らし。このまま続けたかった。
「近くにいると色々言われたり、母の気持ちを勝手に汲み取ったりしてしんどかったので…」
母親が思い描く「私」でいなきゃいけない。そう思い、苦しい時期もあった。
ある程度の物質的距離があった方が、母親との関係を良好に保てる。
だから急いで転職先を探し、無事入社が決まった。
ところが、その会社は彼女をさらに追い詰めた。
配属された部署は、男性二人と藤野さんの3人。
しかも、その男性同士は仲が悪く、常にいがみ合っていたという。
「面接してくれた人もその部署にいないし、うまくやってって言われて」
二人の男性のうち、一人と仕事で組んだのだが、業務上どうしても、もう一人とも話をしなければいけなかった。
「でも私の相手はそれが嫌で。そんなこと言われてもねぇ」
毎日、仕事相手の顔色を見てヒヤヒヤしながら過ごしていた。
入社から2ヶ月ほどたったある日、その男性から怒鳴られた。
もう一人の人と話をしたことを責められた。
「もう無理だなって」
心療内科に行き、医師に泣きながら今までの話をした。
「ちょっと休みましょうね」そう言って診断書を書いてもらい、休職が決まった。
「自分がそんな風になると思わなかったし、病院に行っていいのかなって思いましたけど、言える人が誰もいなくて。それでどうしていいか分からなくなって、病院の門を叩きました」
当時は、家族にはもちろん、友達や交際中の彼にも、悩みを吐き出すことができなかった。
人に迷惑をかけちゃいけない。一人でやっていかなきゃいけない。
母親にかけられた言葉が、知らず知らず彼女の心を抑え込んでいた。
4ヶ月後、休職中の会社からは「戻っておいで」と言われたが、もうあの環境で働くのは無理だと思い、そのまま退職した。
・30歳を目前にして、何もかもがうまくいかなかった。
すぐ転職し、再びエンジニアとして働き始めた。
今度の職場はとにかく忙しかった。
「色々仕事を任せてもらえたのは嬉しかったんですけど、段々あれもこれもになって来ちゃって。他の人に頼みたくても、みんな仕事抱えてるから無理で」
毎日、夜の9時10時まで働くのが当たり前だった。
今までのこともあり、上司に「これ以上は無理です」と伝えた。
でも事態は変わらなかった。
そして、当時29歳だった藤野さんには、大きな迷いと焦りがあった。
目の前に30歳の壁が立ちはだかっていた。
「30歳になるのにどうしようって。もう転職できなくなっちゃうかもしれないし、これから仕事をどうしていこうって」
本当は、エンジニアではなく事務の仕事がしたいと思っていた。
でも、何度も転職をしている自分が、未経験で事務の仕事に就けるのか分からず、ただ不安だった。
さらに、交際して3年の彼ともうまくいっていなかった。
そろそろ結婚をと考える藤野さんは、結婚願望が見えない彼にやきもきしていた。
「仕事もプライベートもうまくいかなくて。もうすぐ30が来ちゃうのに!私どうしたらいいの!って言う感じでした(笑)」
毎日スマホで、転職サイトや恋愛のブログを読み漁り、不安と戦った。
結局、転職はせず、彼とは別れることになり、30代を迎えることになった。
・なんでいつもこうなっちゃうんだろう。
入社から1年半ほど経った頃、体に異変が出はじめた。
「なんか、毎朝吐くようになっちゃったんです」
もう一度、上司に相談した。
今の自分の状態を伝え「これ以上、仕事はできない」そう伝えると「朝は時間通りに来なくてもいいからね」と言われた。
出社の時間が遅くなればなるほど、帰宅の時間も遅くなった。
「そのうち、もう電車でも家でも泣いちゃうみたいな感じで。休みの日も何もしたくなくて、ずっとベッドにいて」
仕事をしていてもミスが増えた。
頭が回らなくなり、次は何をしたらいいのか分からず途方に暮れた。
「なのに、家にいても仕事のことを考えずにはいられないんです。あれもできてない、これもできてない。どうしようって」
別に悲しいわけでもないのに、泣けてきてしまう。
「ほんと、やばいですよね」そう言って、ふはははははと笑う。
でも、その時の彼女は、病院の門を叩かなかった。
「もし病院に行って、もう1回診断がついたら、私はもう生きていけないって思ったんです。もう社会に出てやっていけないって。だから病院には行きませんでした」
職場を何回変わってもうまくいかない。
ただ仕事がしたいだけなのに、なんでいつもこうなっちゃうんだろう。
次は何をどうすればいいんだろう。
「あの時が一番しんどかったですね」
でも、彼女は決して自分を諦めなかった。
八方塞がりに見える状況の中、光を探して一歩を踏み出すことを決めた。
・このままの自分で何十年も過ごすなんて、絶対に嫌だ
折れかけた心の奥底に、ほんの少し残っていた自制心が自分に問いかけた。
「このまま体も心も壊して、会社のために倒れるまで働くのか、自分の心の均衡を取り戻すのか。どっちにするんだって」
自分の答えは「心の均衡を取り戻したい」だった。
会社に退職したいことを伝え、上司からは止められたが退職することができた。
まずは自分を立て直そう。そう思い、仕事も時間も余裕がある派遣社員になった。
少しずつ、自分のために時間を使うことができるようになった。
「最初は何をどうしていいか分からなかったけど『これやってみようかな』『あの人の話を聞きに行ってみようかな』とか、何か少しでもいいからできることをやってみようって」
どん底から、よくひとりで奮起できたねと感心すると、彼女はこう答えた。
「本当にしんどすぎて、このまま何十年も生きていけないって思ったんですよ。
60歳まで生きるとしても、あと30年あるじゃないですか。こんなメンヘラ状態であと30年も生きたくないよ!って思ったんです(笑)」
このままの自分で生き続けるなんて、絶対に嫌だった。
とにかく「自分がやってみたい」と思うことをやってみる。そこに注力した。
「ひとりで旅行したり、ホテルステイしてみたり、心理学とかの勉強をしてみたり、プロに写真を撮ってもらったり。色々やってみました」
自分の心に従うことで、少しずつ感情が戻ってきた。
笑顔も戻ってきた。
「過去の私を知ってる人には『何を考えてるか分からなかった』って言われます。自分ではそんなに自覚がないんですけどね(笑)」
当時を振り返り「自分でもよくやってきたなって思います」と笑った後、でもね、と続けた。
「色々あって、自分に足りないのは何だろうと思って勉強できて今があるので、若いうちに経験できてよかったのかなって思います」
・自分がいかに”楽に生きられる”かを考える
自分を変えたいと学んだ心理学は、彼女に大きな影響を与えた。
「たとえば、眉間にしわを寄せて険しい顔をしている人の写真を見せられた時に、みんな『怒ってるように見えます』って答えるんですよ。
でも事実は、目を見開いてるとか眉間にしわが寄ってるっていうだけで、怒っている事実はないんですよね。でも、私たちはそれを見て『怒っている』って思ってしまう」
過去、会社でちょっと険しい顔をしている人を見かけたら「あの人怒ってるのかな。私、何かしちゃったのかな」そう思い、勝手にドキドキそわそわしていた。
「それって、しんどいなあって。ただそこにいるだけの人に対して、私が矢印を向けてただけだなあって」
その人が怒っているのかどうか、真実は分からない。
だから「怒った顔してるなあ」という事実だけを見て、自分を守るようにした。
「この人は元々こういう顔なのかもしれないな、とか考えるようにして(笑)
もし相手に本当に何か言われたら、その時考えればいいこと」
昔から「人に悪く思われたくない」「みんなに好かれなきゃ」という思いが強かった。
だから、何か言われても言い返せなかったり、おどおどしてしまったりで、標的にされやすかったのかもしれない、と過去を振り返る。
マーチング部の同級生との関係がこじれた時も、自分の意見をきちんと伝えて、もっとコミュニケーションを取ればよかった。
休職に追い込まれた時も「私の仕事はこれです」とはっきり伝えればよかった。
もしそれでも色々言われたら、人事を巻き込んだりして、自分の仕事ができるようにすればよかった。
さまざまな思いを乗り越え、心理学を学んだ今は「自分がいかに”楽に生きられるか”を考えている」と話す。
「嫌いなら嫌いでいいよって思うし、一緒にいたい人とだけいるみたいな感じですね」
現在、派遣社員として働いている会社でも、人間関係はスムーズだという。
「今の部署はそんなに人がいないんですけど、みんないい人で。そういう部署に来れたのも私が変わったからかなって」
心理学だけではなく、会社とは違う世界で出会う人からも影響を受けたという。
・一歩を踏み出したことで、世界は劇的に変わった。
退職する前、毎日スマホを見ていた時のこと。
事務で起業ができることを知った。
「これだああ!って。事務の仕事がやりたくて、でも会社員で経験がないと難しいかなって思ってて、それが自分でできるって知って。私にもできるんだ!これはやるしかない!って感じで。その時、本当に光が見えたんです」
その後、会社員で働きながら副業として「事務」の仕事をはじめた。
個人事業主向け「事務アシスタント」として、現在も続けている。
「ありがたいことに、事務局をやらせてもらったり、学びに言ったところでご縁をいただいてお仕事させてもらったりで、細々と続けさせてもらってます」
起業をしたことで、会社員時代では出会うことがなかった人に出会うことも、変化につながったという。
「前は、私はこんなに頑張ってるのに、なんであの人だけとか、なんでなんで、私私みたいな『私人間』だったんです。でも色んな人と出会ったことで、あの人も裏ではすごく努力してるのかもしれないなとか、私はまだあのステージにはいないのかもしれない、じゃあどうしたらいいんだろう?とか、そういう風に考えられるようになりました」
そしてもうひとつ、彼女の人生を大きく変えたものがある。
それは、プロのフォトグラファーに撮ってもらった1枚の写真だった。
昔の自分なら撮影をされるなんて考えもしなかった。
でも「変わりたい」と思い、プロに撮影してもらうことにした。
「どうしても川で撮ってもらいたくて、岐阜まで行ったんですよ。しかも日帰りで(笑)」
その写真をLINEのアイコンに変えたところ、30歳を前に別れた元カレから連絡が来た。
「別れてから1年半、全く連絡してなかったんですけど、突然『元気?』ってLINEが来て。ドキッとしました」
そこから再会し、あれよあれよと言う間に結婚することになった。
その期間、なんと半年弱。
「うまくいく時って、とんとん拍子なんだなぁって」
幼い頃から、なんでも自分でやらなきゃと思って生きてきた。
人に悩みも言えなかったし、全部自分で解決してきた。
でも本当は、誰かに手を貸して欲しいという気持ちがあった。
今は夫に「ちょっと聞いてよ!」と吐き出せるようになった。
「私が『こんなことがあってモヤッとした』って話すと、私にはない視点から意見を言ってくれるので、そういう考え方もあるのかって発見になったり、事実と感情を分けて考えればいいのかって気付けたり、勉強になります」
「旦那さん、神メンタルの持ち主なんですよ(笑)」と、ちょっと照れながら嬉しそうに笑った。
・どんな立場の人も自分らしくあるために
会社員として働きながら、事務アシスタントとして個人起業主を支える彼女に、今後やってみたいことを聞いた。
「事務のお仕事は好きなので続けていきたいんですけど、過去の自分を救う仕事もしたいなって思っていて」
過去、何をやってもうまくいかないと思っていた自分。
もしあの頃の自分みたいに、苦しみもがいている人がいるなら、手を差し伸べたい。
「会社だけが全てじゃないし、自分の知っていることだけが全てじゃない。今は自分だけの価値観でしか物事を考えられないかもしれないけど、それだけが道じゃないって言うのを教えてあげたいですね」
そしてもう一つ、最近思いついたことがある。
それは、正社員、派遣社員、そして自分で起業をしたからこそ思うこと。
「雇用形態に縛られるのって、すごくしんどいなって思ったんです。
正社員は『正社員だから』ってあれもこれもやらなきゃいけなくてしんどくて。派遣社員は『派遣だから』って色々制限があったりして。私は、私なんだけどって。
だから、みんなが自分らしく仕事ができる場所を作りたいなと思っていて」
たとえば、事務を仕事にしている藤野さんがいて、カメラマンをしている人がいて、デザインをする人がいて、物を書く人がいる。
「みんなそれぞれ自立して仕事をしてるけど、もし協力が必要な時は、チームで何か一つのものを作るとか、そういうのができたらいいなって。正社員も派遣もないし、上も下もない。それぞれが自分の仕事を全うする。肩書きに縛られない居場所みたいなものを作れたらなって思います」
その中で、一つのピースとして全体を支えることができたら、それが自分の喜びになる。
真剣に語ったあと「あ!ほんとに!思いついたばっかりで!」そう恥ずかしそうに笑う姿を見ていたら、こっちもなんだか笑ってしまった。
彼女が作るその場所は、きっと「人のぬくもり」がある優しい場所に違いない。そう思った。
・さいごに
今年結婚した夫は、彼女と別れている1年半の間に、猫を飼いはじめていた。
実は、藤野さんは動物全般が苦手で、最初は近づくのも無理だったという。
「一緒に住むのに、どうしようかと思いましたよ…」
それから半年経った今、すっかり慣れて抱っこもできるようになり「猫のいない生活は考えられないし、猫のために働いてます(笑)」と言うのだから、その変化に驚かされる。
ふんわり優しい空気をまとっている彼女の中には、実はものすごく強い芯がある。
心療内科の門を叩いた時、毎朝吐いてもう嫌だと泣いた時、彼との別れを決めた時。
どんなに辛い時も、その芯は折れなかった。
「このまま廃れてしまう自分ではいたくない」と、必ずどこかにある光を探し続けた。
彼女は、自分の人生を一度も諦めなかった。
だから、今のこの笑顔がある。
「人って変わるものですねぇ」
目を細めて笑う彼女を見ながら、自分の人生を諦めないことの大切さを教わった気がした。
藤野実里さんホームページ https://www.fmisato.com/
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